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浮気旦那と離婚に至るまでの道のり(11)-完-

不倫
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『闇の誘惑 ?ネットの深淵?』

私は佐伯先輩からの電話を切った後、長いため息をついた。道光会への謎のメール。その送り主を探るため、私は昔からの知人である佐伯先輩に連絡を取ったのだ。

最近、村尾建設の社長や◯◯◯グループの会長との面談を済ませたばかりだった私は、  その報告も兼ねて電話をしたのだが、佐伯先輩から思いもよらない情報を得ることになった。

「ネット掲示板に、俊太郎の不倫の話が出ているんだ」

その言葉に、私の心臓が一瞬止まりかけた。

佐伯先輩に教えられた通りにパソコンで検索すると、すぐに該当のスレッドが見つかった。「〇〇市の不倫男」というタイトル。

画面に映し出される文字の数々は、想像を絶する悪意に満ちていた。俊太郎への誹謗中傷は度を超えており、私は吐き気を覚えるほどの衝撃を受けた。

最初は「二度と見るまい」と固く誓ったはずだった。しかし、人間の好奇心は恐ろしい。気がつけば毎日のように掲示板をチェックする習慣が身についていた。

最初は激しい嫌悪感があったはずの書き込みも、次第に平然と読めるようになっていく。自分の中で何かが変わっていくのを感じた。これが「闇堕ち」というものなのだろうか。

ただ一つ、子供たちだけはこの掲示板の存在を知らないでいてほしい。それが今の私の唯一の願いだった。

街の噂は早い。誰かが私たち家族のことを監視し、ネットの闇へと流していく。その事実に、私は恐怖と共に、どこか不思議な魅力も感じていた。

『早朝の恐怖』

シュッ、シュッ。

その不気味な音で目が覚めた。携帯の画面を見ると、まだ午前4時。外は薄暗く、街灯だけが淡い光を投げかけている。

最近、不審者に家の中をライトで照らされた事件があったばかり。私の心臓が早鐘を打ち始めた。

音は隣の公園から聞こえてくる。恐る恐るカーテンの隙間から覗くと、街灯の下に人影が見えた。

男が何かを振り回している。その動作が音の正体だった。突然、男が家の方を向いた。その瞬間、私の血が凍った。

浅井建一。私の義父だった。

手にしているのはゴルフクラブ。早朝の公園で素振りをする姿は、一見何気ない行為に見えるかもしれない。でも、これは明らかな嫌がらせだった。

最近、私が村尾社長や会長に会いに行ったことへの報復。「浅井家の金は渡さない」という無言の威嚇。

私との目が合った瞬間、義父は意味ありげな笑みを浮かべた。私は恐怖で震えながら布団に潜り込んだ。

これは始まりに過ぎなかった。義父の執念深い嫌がらせは、これから私の精神を少しずつ蝕んでいくことになる。

公園という公共の場所。法的には何の問題もない。でも、その陰湿さは、まるで心理的拷問のようだった。

孫たちのことも考えず、ただ私を追い詰めることだけを考える義父。離婚は夫婦の問題なのに、なぜここまで執着するのか。

これが長い恐怖の日々の始まりだった。

『転機の面会』

佐藤法律事務所の応接室で、私は椅子に深く腰掛けていた。第6回目の離婚訴訟に向けた 準備書面の打ち合わせのためだ。

「先生、あのアドバイス通りに、社長会のメンバーに会ってきました」

佐藤弁護士は心配そうな表情を浮かべた。「実は、あまりにも大きな負担をお願いしてしまったのではと気にしていたところです」

「私も最初は躊躇しましたが、思い切って行動に移しました」

「具体的にはどなたに?」

「村尾建設の村尾社長と、〇〇〇グループの会長です」

「会長とお会いになったのですか?」佐藤弁護士の声が上がった。「道光会の実質的トップですよ」

その言葉に私は驚いた。夫の所属する派閥のトップだとは知っていたが、まさか会全体のトップとは。今更ながら緊張が走る。

しかし、その面会は予想以上の成果をもたらした。会長は夫の不倫について、裁判所での証言も辞さない姿勢を示してくれたのだ。

「美咲さんだからこそ可能だったんです」と佐藤弁護士。「あなたの言葉には説得力がある。芯の強さがある」

私は照れくさそうに否定した。「強くなんかありません。ただ、子供のためならという思いだけです」

この展開は、かつて匿名の探偵から受けた助言のおかげでもあった。見ず知らずの私に 貴重なアドバイスをくれた人物。その言葉が、私の背中を押してくれた。

人との出会いは不思議だ。必要な時に、思いがけない場所から助けの手が差し伸べられる。世界はまだまだ捨てたものではない?そう実感させられる瞬間だった。

準備書面には村尾社長と会長の名前が記載されることになった。これは大きな転機となるはずだ。夫の最も近い仲間からの証言。もはや逃げ場はないだろう。

『最後の抗弁』

裁判所に向かう足取りが、この日ばかりは軽やかだった。準備書面には道光会の重鎮、 村尾社長と〇〇〇グループ会長の名前が記されている。これで勝負は決まるはずだった。

法廷で夫と向かい合った時、彼の険しい表情が目に入った。でも、もう怖くはない。 「これが最後」という思いが私の心を支えていた。

裁判が始まり、私は証言台に立った。会長たちとの面会について、淡々と事実を述べる。夫の不倫は別居前から続いていたこと、会長が証言を申し出てくれたことを。

ところが。

「会長の言っていることは本当です」

夫の予想外の言葉に、法廷が凍りついた。

しかし、その後に続いた言葉が、私の希望を打ち砕いた。

「私が会長に嘘をついていたんです」

夫の主張によれば、道光会のメンバーから不倫を煽られることに嫌気が差し、実際には 不倫していないにもかかわらず、していると偽ったというのだ。

「不倫現場を直接見た証人は誰一人いない」

その言葉が、私の心に突き刺さった。せっかくの切り札が、こんな形で無効化されてしまうなんて。

私は「誰かの妻」から解放されて、ただの「子供たちの母」として生きていきたかった だけなのに。

目の前が暗くなる。夫との戦いは、まだ終わらない。

『運命の電話』

離婚訴訟は振り出しに戻った。夫の巧妙な嘘によって、せっかくの証言者の存在も無意味になってしまった。この街のどこかに、真実を知る人がいるはずなのに、それを証明することができない。

家を出て行った夫との戦いは2年半。不倫が発覚してからは3年が経過していた。その間、夫や沙織、義父からの執拗な嫌がらせは続き、私の心は濁った沼のように淀んでいた。

そんなある日、スーパーで思いがけない再会があった。息子・悠人の小学校時代の親友・亮介の母親だった。

「お茶でもどう?」という誘いに応じた私は、近くの喫茶店で久しぶりに旧友との時間を過ごした。彼女は私の痩せた姿を気にかけ、そして突然涙を流した。

「今まで何もできなくて、ごめんね」
その言葉に、私も堰を切ったように泣き出した。誰にも相談できずに抱え込んでいた苦しみが、一気に溢れ出た。

そして彼女は一つの提案をした。アロマセラピーとカラーセラピーのサロンの紹介だった。「眠れないでしょう?」という優しい言葉に、私は心が動いた。

その日のうちに、私はサロン「ウイング」に電話をした。一週間後の予約を取り付けた時、これが新たな転機になるとは想像もしていなかった。

疲れ果てた心身を癒やそうとした小さな一歩が、思いもよらない深い闇への入り口となることを、この時の私は知る由もなかった。

『癒しの部屋』

住宅街の一角に、小さな看板だけが目印の一軒家があった。「ウイング」という文字が、控えめに輝いている。

インターフォンを押すと、白衣姿の女性セラピストが迎えてくれた。玄関に飾られた花々と、室内に漂う心地よい香りが、初めて訪れた私の緊張を自然と解きほぐしていく。

「スイートオレンジの香りです。緊張やイライラ、不眠に効果があるんですよ」

セラピストの穏やかな声に導かれるまま、奥の部屋へと進んだ。そこには、美しい色彩を讃えた数々のボトルが並んでいた。上下二色に分かれた液体が、まるで宝石のように輝いている。

「カラーセラピーは、色を通して心の深層に触れ、問題解決のヒントを見つけるお手伝いをします」

私は躊躇なく体験を申し込んだ。4本のボトルを選び、その意味を解説してもらう。今まで触れたことのない世界だったが、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。

帰り際、セラピストは数枚のチラシを私に手渡した。様々な占い師やセラピストの連絡先が記されている。

「大変な状況の中、一人で頑張っておられることに敬意を表します」

その言葉に胸が熱くなった。

この日の体験は、私の人生における新しい扉を開くことになった。それは癒しへの入り口であると同時に、予期せぬ世界への第一歩でもあった。

たった一度の来店のつもりだったが、この体験は私の心に深く刻まれ、もう後戻りできないほどの魅力を感じていた。

『対決への序章』

離婚裁判が始まって半年が経過していた。証拠の出し合いもなく、膠着状態が続く中、 佐藤弁護士からの呼び出しが私を待っていた。

「新たな戦略を提案させていただきたいのですが」
佐藤弁護士の言葉に、私は身を乗り出した。

「不倫相手の沙織さんを訴えることを検討してみませんか」

その提案に、私の心臓が大きく跳ねた。今でさえ精神的に限界を感じているのに、さらなる戦いを始めるなんて。しかし、弁護士の説明によれば、実質的な負担は現在とさほど変わらないという。

ただ、一つ大きな問題があった。私はまだ一度も沙織と対面したことがない。写真すら見たことがない相手と、法廷で向き合わなければならない。

他人の夫を奪い、家庭を壊し、さらには意図的に私の家の前を通り過ぎるような女性。
その存在を想像するだけで、息が詰まりそうになる。

普通の感覚を持ち合わせていない相手との戦い。私のような平凡な主婦に勝ち目などあるのだろうか。不安と恐怖で胸が潰れそうになる。

それでも、これは避けては通れない道。早く全てを終わらせるためには、この戦いに挑まなければならない。

心の奥で叫び続ける声が聞こえる。
「もう楽になりたい」
その願いを叶えるため、私は新たな戦場へと足を踏み入れることを決意した。

『法廷への挑戦状』

私の手元には、佐藤弁護士が作成した訴状が置かれていた。形式的な法律用語と数字が 並ぶ書面だが、これが新たな戦いの始まりを告げる文書となる。

請求額は500万円。
夫との平穏な生活を壊され、受けた精神的苦痛への対価として、決して大きすぎる金額ではない。

訴状には事実が淡々と記されている。
夫との結婚日。
沙織との不貞の開始時期。
そして現在の同棲生活に至るまでの経緯。

これまで一度も顔を合わせたことのない相手。しかし、この訴状が届いてから2週間後には、否応なく対面することになる。3年間の苦しみを経て、ついに直接の対決の時が近づいている。

心の中で様々な不安が渦巻く。
本当に私にできるのだろうか?
法廷で相手と向き合う勇気はあるのだろうか?

しかし、もう後には引けない。
これは私の人生を取り戻すための、避けては通れない戦いなのだ。

訴状を見つめながら、私は静かに決意を固めた。
たとえ怖くても、たとえ不安でも、この戦いに勝利するまで、諦めることはできない。

『深夜の不安』

真夜中の静寂を破る不気味な音で、また目が覚めた。シュッ、シュッという音は、今や私の悪夢の一部となっていた。

ここ3日間連続で続くこの出来事。おそらく訴状が届いたことへの反応なのだろう。窓際に忍び寄り、カーテンの隙間から外を覗くと、街灯に照らされた公園のベンチに、またあの姿があった。

義父は、まるで私を威嚇するかのように、ゴルフクラブを手に静かに座っていた。   午前4時。11月の寒空の下、この行為は明らかな嫌がらせ以外の何物でもない。

不眠に悩まされる日々に耐えかね、私は地域の派出所を訪れた。しかし、予想通り「公共の場所での行為なので取り締まれない」という回答。さらには「家族で話し合ってはどうか」という的外れな提案まで受けた。

しかし、その日のテレビ番組が状況を一変させた。警察の新しい通報システムについての報道を見て、すぐに警察本部に連絡を取った。

「たとえ場所が公園でも、身内でも、恐怖を感じる行為は許されません」
担当者の言葉は、私の心に染み入った。巡回強化や緊急時の対応など、具体的な支援を約束してくれた警察の存在は、大きな心の支えとなった。

これまでの人生で、常に誰かの助けを借りて問題を解決してきた私。今回の経験は、自分で考え、行動することの大切さを教えてくれている。

しかし、これは始まりに過ぎなかった。私の試練は、まだまだ続くのだった。

『ネットの闇』

子供たちが家にいる時は、普通の母として振る舞える。でも、一人になると心が空っぽになって、何もする気が起きない。

久しぶりにパソコンを開いた私は、以前から気になっていた掲示板を覗いてみた。そこには、私の夫の不倫に関する大量の書き込みが溢れていた。

知りもしない人たちが、勝手な憶測で書き込みを重ねている。最初は夫婦の醜聞を面白がるような投稿ばかり。でも、次第に内容はエスカレートしていった。

「俊太郎の奥さんが自殺未遂」
そんなデマまで飛び交う中、必死に否定する書き込みを見つけた。おそらく夫だろう。

さらに読み進めると、沙織の名前が出始めた。そして最悪なことに、彼女の個人情報が晒されていた。住所、電話番号、車の特徴まで。見知らぬ人々が実際に彼女の家を訪れたという報告まであった。

不思議なことに、私は喜びを感じなかった。むしろ、現代社会の暗部を見せつけられた ような気持ちになった。

誰かを簡単に非難し、傷つける。その行為の背後には、自分よりも汚れた心があるのかもしれない。私自身、無意識のうちに誰かを傷つけていないだろうか。

子供たちの未来のために、この世界がもっと優しい場所になることを願う。私にできる ことは小さいかもしれないが、少なくとも自分の行動が正しい方向を向いているか、常に確認しながら生きていきたい。

『成長の証』

三度目の父親不在の正月。時の流れは、私たち家族の在り方を大きく変えていた。

最初の年は必死だった。子供たちのために夫に帰宅を懇願したっけ。二年目は受験で  精一杯。そして今年。ダイニングテーブルの空席は、もはや違和感すらない。

人間って本当に適応力がある生き物だと実感する。かつては耐えられないほどの喪失感だったのに、今では夫の存在自体が余計なものになっている。

そんな元旦の午後、美穂が困った表情で階段を降りてきた。義父からの電話だという。 突然のお年玉の話。これまで孫たちを完全に無視してきた人が、なぜ今更。

「僕が行ってくる」
東京から帰省中の長男・悠人が即座に申し出た。

私は躊躇した。義父の本性―議員事務所での裏切り、早朝の嫌がらせ、そして夫と沙織を引き合わせた張本人であることを、子供たちには黙っている。血のつながった祖父の醜い面を知ることは、子供たちの心をさらに深く傷つけるだけだから。

特に最近、子供たちは「遺伝」という言葉を口にするようになった。父親譲りの性質を 恐れ、拒絶する様子を見るのが辛い。

「無理しなくていいのよ」
私が制止しても、19歳になった悠人の決意は固かった。

「大丈夫、変なことを言われたらすぐ帰ってくるから」

息子の凛とした姿に、私は何も言えなくなった。もう子供ではない。自分の意思で判断し、行動できる大人になっているのだから。

悠人は一人、義父との対面に向かった。私にできることは、ただ息子の決断を信じて見守ることだけだった。

『最後の訪問』

築40年の大きな屋敷。悠人は幼い頃から慣れ親しんだ祖父の家の前に立っていた。

かつてここは、毎週土曜日の午後から夜まで、家族の笑顔が溢れる場所だった。初孫の  悠人を筆頭に、美穂、健二と孫たちの成長を、祖父母は心から喜んでくれた。

夕方になると決まって出前を取り、みんなでテレビのクイズ番組を楽しんだ。夜には祖父が子供たちをお風呂に入れるのが日課だった。そんな幸せな日々が12年も続いた。

インターホンを押すと、変わらぬ様子の祖父が出迎えてくれた。リビングには祖母もいて、大学生活の話に花が咲く。しかし、話題は父親のことへと移っていった。

「お前の父さんは、頭がおかしくなってしまった」
祖父の言葉は重かった。息子である父を恐れているという。買い物から帰って父の車を 見かけると、わざと遠回りをして帰るほどだと祖母は明かした。

「もう元には戻らないだろう」
諦めの色濃い祖父の言葉。そして「お前たちはお母さんが好きだろうが、私はお前たちの祖父なんだ」という言葉を最後に、悠人は三人分のお年玉を受け取って帰路についた。

これが祖父母との最後の対面となった。それ以降、一切の連絡は途絶えた。12年もの間、可愛がってくれた孫たちへの愛情は、どこへ消えてしまったのだろう。

不倫は、当事者だけでなく、関わるすべての人の心に消えない傷を残す。幸せだった家族の絆を引き裂き、子供たちから大切な思い出までも奪っていく。それは決して許されない行為なのだ。

『迷える中年女性の選択』

離婚調停から2年半。佐藤弁護士によれば、別居期間が5年を超えれば、有責配偶者からの離婚請求でも認められるという。

私は離婚には同意している。ただ、その先の人生に不安を感じていた。20年務めた仕事も失い、45歳の私に残された選択肢は何があるのだろう。

学生時代は接客や販売など、様々な仕事を経験してきた。でも今の私に、誰が仕事を与えてくれるだろう。やりたいことよりも、できることを探さなければならない現実。

そんな時、部屋の掃除中に一枚のチラシが目に留まった。「あなたの天職診断」という文字。占星術による診断だという。

普段なら笑い飛ばすような類のものだ。でも今の私には、誰かの導きが必要だった。裁判も行き詰まり、人生の岐路に立たされている。藁にもすがる思いで、サロン「ウイング」に電話をした。

「鈴本先生は物静かで誠実な方です」
受付の女性はそう言って、一週間後の予約を取ってくれた。

理性では「占いは所詮占い」と分かっている。それでも、誰かに未来への希望を示してほしい。今の状況を変えるきっかけが欲しい。そんな思いが私を占い師のもとへと向かわせた。

今振り返れば、これは精神的に追い詰められていた証かもしれない。でも、その時の私には、それが新しい一歩を踏み出すための選択に思えたのだ。

『不思議な占い師の助言』

雑居ビルの一階、小さな占いサロンのドアを開けた。予約時間通りに訪れた私を出迎えたのは、40代後半の柔和な男性だった。鈴本和夫と名乗る彼は、ハーブティーを出しながら、意外な言葉を口にした。

「私には霊感は一切ありません」
その言葉に、かえって安心感を覚えた。

鈴本先生は占星術について説明を始めた。それは単なる占いではなく、誰でも同じ結果が導き出せる統計学のような手法だという。

私は率直に相談した。離婚を控え、20年務めた事務職以外の仕事経験がない自分に、どんな職業が向いているのか知りたかった。

しかし、鈴本先生の返答は予想外のものだった。

「ブログを始めましょう」

私は困惑した。仕事の相談をしているのに、なぜブログ?しかも、日記すら三日と続かない私に、ブログなど書けるはずもない。

さらに驚くべき発言が続いた。
「あなたは働く必要はありません。お金には困らないはずです」

理解に苦しんだ。子供を養っていかなければならない身なのに。

しかし鈴本先生は、これは霊視でも占いでもなく、占星術のチャートから読み取れる事実だと主張した。そして、「どろどろしたこと」を書くように勧めた。きれいごとではなく、本音を。

結局、納得のいかないまま時間切れとなった。ブログを書く余裕も気力もない。そんな思いを抱えながら、私はサロンを後にした。

この不可解な助言が、後の私の人生にどんな影響を与えることになるのか、その時はまだ知る由もなかった。

『ブログとの出会い』

占い師の不思議な助言が頭から離れなかった。確かに店舗を構えている以上、でたらめな占いはできないはず。あれほど確信的に言う理由が、どこかにあるのかもしれない。

その夜、家事を終えた私は、思い切ってパソコンの前に座った。「ブログの始め方」で検索すると、初心者向けのアメーバーブログが目に留まる。

登録画面で最初の壁にぶつかった。ブログのタイトルだ。しばらく考えていると、不意に「優しい時間」という言葉が浮かんできた。なぜだろう、この言葉に強く惹かれた。

次は筆名。本名の浅井美咲は論外だ。ここでも不思議と「佳子」という名前が心に響いた。

こうして「過ぎた過去」の杉田佳子が誕生した。

最初は戸惑いながらも、離婚や日々の想いを少しずつ言葉にしていった。すると思いがけず、書くことが心地よく感じられ始めた。三日坊主だった日記と違い、指が止まらない。

このブログは誰にも教えない、私だけの秘密の場所。そこで吐き出す言葉たちが、やがて私の人生を大きく変えていくことになる。

『深夜の恐怖』

真夜中の静寂を破る不気味な音。
シュッ、シュッ、シュッ。

私は暗闇の中で目を覚ました。またあの音だ。ゴルフクラブを振る音が、夜の闇に響いている。

40代の息子を守るため、70代の義父は毎晩のようにこうして私を威嚇する。子供のためとはいえ、こんな非道な行為まで。私なら決してしない。子供に胸を張って話せない行為は、結局は子供自身を傷つけることになるのだから。

おそるおそる窓際に近づき、カーテンの隙間から外を覗く。公園で仁王立ちになった義父の姿が、街灯に照らし出されている。

突然、金属音が夜空を切り裂いた。義父がゴルフクラブでベンチを叩き始めたのだ。昼間とは比べものにならない轟音が響く。

もう限界だった。震える手で警察に電話する。

「浅井美咲です。例の人が…」

すぐに警官が駆けつけ、義父と対峙した。若い警官は穏やかに諭すように話しかける。 私は窓を少し開け、その会話に耳を傾けた。

警官は「散歩」を装う義父に、近隣住民の不安を説明し、二度と同じことを繰り返さないよう警告した。

パトカーが去った後、義父は私の方を向いた。その眼差しには憎悪が満ちていた。なぜ ここまで私を憎むのか。私は何も悪いことはしていないのに。

遊具の影が不気味に伸び、設置された動物のオブジェが異様な存在感を放つ中、これが私と義父の長い戦いの始まりとなった。

『対決への序章』

第7回目の離婚裁判を前に、被告の西郷沙織から答弁書が届いた。法的な文書特有の無機質な言葉の羅列の中に、彼女の主張が明確に記されていた。

答弁の核心は、私たち夫婦の関係破綻と彼女の関与には因果関係がないという点だ。西郷は、夫との交際は私たちの別居後に始まったと主張。さらに、夫婦関係はすでに破綻していたと夫から聞かされていたとも述べている。

500万円の慰謝料請求に対して、完全な棄却を求めてきた彼女。裁判の争点は、不倫関係の開始時期が別居の前か後かという一点に絞られることになる。

夫の表情からは余裕が滲み出ている。別居前の不倫の証拠など存在しないという確信があるのだろう。

初回の裁判に西郷は出廷しない。弁護士に委任すれば、本人の出廷は必要ないからだ。しかし次回、私は初めて彼女と対面することになる。

その時が近づくにつれ、不安が募る。本当に冷静に彼女の顔を見つめることができるのか。言うべきことをきちんと伝えられるのか。

これまで想像の中でしか存在しなかった「敵」との対面。その日までの時間が、重くのしかかってくる。

『希望を求めて』

心の支えを必死に探していた。

親族もなく、友人はいても深い悩みを打ち明けられる関係ではない。いつも相談される側の私は、自分から心の内を明かすのが苦手だった。まだ幼い子供には相談できるような 内容でもない。

そんな中、全てを一人で抱え込んだ結果、心身ともに限界が見えていた。

ある日、スーパーで偶然出会った亮介ママとお茶をしていた時のこと。街外れにある古い喫茶店メトロの隣に、不思議なアクセサリーショップ「フェース」があると聞いた。その店長は人の過去や未来、体調までも見通すことができるという。

最初は半信半疑だった。そんなことがあるはずがない、と理性は否定していた。でも疲れ果てた心は、藁にもすがる思いで、その可能性にすがりつきたがっていた。

裁判費用で経済的に逼迫している状況で、占いなどに費やす余裕はないはずだった。それでも、何か答えが見つかるかもしれないという期待が、理性を押し流していった。

若い女性の明るい声で電話に出られ、あっさりと翌日の予約が取れた。これまで占いなど信じたことのない私が、こんな行動をとることに違和感を覚えながらも、その違和感さえも希望への期待で打ち消されていった。

きっと何も変わらないだろう。そんな冷静な判断は、どこかへ吹き飛んでいた。ただ、 誰かに導きを求めたい一心で、私はその店に向かうことを決めたのだった。

『癒しの訪れ』

小さなショップを訪れた私を迎えたのは、ハルと名乗る50代の男性だった。店内には手作りの天然石アクセサリーが所狭しと並び、奥の小部屋へと案内された。

驚いたことに、ハルさんは私の状況を一目で見抜いた。夫の不倫、進行中の離婚裁判、
そして私の心身の疲れまで。彼の前で、これまで誰にも話せなかった辛い経験を全て吐き出した。義父からの嫌がらせ、夫の裏切り、全てを。

ハルさんは私の話に静かに耳を傾け、その後、独特な癒しの施術を行った。背中に手をかざすと、不思議な温かさが広がっていった。「あと半年で全てが終わる」という彼の言葉に、私は思わず涙を流した。

最後に、ハルさんは特別なアクセサリーを見せてくれた。ブルートパーズの付いたシルバーのネックレス。「目標に向かって進む力を与える」という石だった。

通常なら躊躇するはずの出費だったが、この日の私は迷わず購入を決めた。後から知ったことだが、ハルさんは各地で活躍する有名なヒーラーだったという。

帰り道、首にかけたネックレスが心強いお守りのように感じられた。これからの未来への希望が、少しずつ私の心を明るく照らし始めていた。

『心の闇』

静かな午後、私は机に向かっていた。夫の事務所から密かにコピーした書類の山と向き合う日々。不倫の決定的証拠を見つけようと、2年もの間、同じ作業を繰り返してきた。

最近、異変を感じ始めていた。人前では普通に振る舞えるのに、一人になると急に体が重くなる。かつては日常の一部だった音楽が、今では耐えられない。感情が揺さぶられることを恐れるように。

そして、スーパーへの買い物さえも恐怖となっていた。人目を避けるように、黒いダウンコート、ニット帽、マスク、サングラスで完全武装。知人に会うことが怖くて、閉店間際でなければ買い物に行けない。

服装も変わった。以前は柔らかいパステルカラーを好んでいたのに、今では黒一色。自分でも異常だと感じながら、誰にも相談できない。主治医にさえ、この変化を打ち明けられずにいた。

ただ、子供たちの前では違った。美穂と健二が帰宅する時間になると、不思議と普通の自分に戻れる。彼らの元気な様子を見るだけで、心が少し落ち着くのだ。

それでも、この状態は悪化している気がしてならない。でも、子供たちのために、今は耐えるしかない。「大丈夫」と自分に言い聞かせながら、日々を過ごしている。

『失われた日常』

洗面所の掃除をしていた私は、鏡の裏の収納を整理することにした。

子供たちのために、家事だけは何とか日々こなしている。これができているうちは大丈夫だと、自分に言い聞かせながら。でも、心のどこかで、自分が少しずつ変わっていっていることを感じていた。

収納の奥から、思いがけないものが出てきた。3年以上前、夫が買ってくれた高級化粧水。まだ幸せな家庭だった頃の、開封すらされていない思い出の品。

その化粧水を手に取った瞬間、込み上げてくるものがあった。当時の私は、どの化粧水がいいとか、スキンケアの方法とか、そんなことを普通に考えられる女性だった。

今の私は違う。お風呂に入ることすら億劫になり、スキンケアなど遠い過去の習慣となってしまった。かつての幸せな妻の面影は、この未開封の化粧水の中にだけ残されている。

その化粧水を抱きしめながら、私は気づいた。あの頃、誰かに助けを求めることができていれば、こんなふうに自分を見失うことはなかったかもしれない。でも、その時は誰にも声を上げられなかった。

だから今、同じような苦しみを抱える人には伝えたい。「助けて」と声を上げることの大切さを。自分を見失う前に、誰かに助けを求めてほしいと。

その化粧水は、私への警告のように思えた。失われた日常の象徴として、そこに静かに佇んでいた。

『崩れゆく身体』

ある日、突然の膝の痛みに襲われた。最初は軽い違和感程度だったものが、徐々に悪化していき、ついには歩行も困難になってしまった。

朝、目が覚めると立ち上がれない。トイレに行くのも一苦労で、這いずり回るしかない状態。子供たちには心配をかけまいと、単なる捻挫だと嘘をついた。

やむを得ず整形外科を受診すると、「両膝変形性膝関節症」との診断。医師からは運動不足が主な原因だと指摘された。確かにここ数年、外出を極端に控えていた。人の目が怖くて、家に引きこもりがちだった私の生活が、こんな形で身体に跳ね返ってきたのだ。

治療で膝から水を抜く痛みに耐えながら、高額なサポーターを購入。これからは杖をつきながらの生活を強いられることになった。

その後、私の診断書は増えていった。膝の症状に加え、全般性不安障害、そして慢性胃炎と逆流性食道炎。すべては私の精神状態の悪化が引き起こした連鎖反応のようなものだった。

45歳の私の体は、心の傷とともに少しずつ蝕まれていった。これらすべてが自分の選択の結果だということは、痛いほど分かっていた。

『真夜中の告白 ?破れゆくシーツの謎?』

毎晩、私は同じ悪夢に悩まされている。夫に首を絞められたり、義父から逃げ回ったり。目覚めると、いつも汗でびっしょり濡れている。

最近になって気づいた不思議な現象がある。ベッドのシーツが異常なほど頻繁に破れるのだ。新品に取り替えても、すぐに同じことの繰り返し。5枚目のシーツが破れた時、私は ついに原因を理解した。

夜中、無意識のうちに私は激しくもがいているのだ。昼間は必死に抑え込んでいる感情が、夢の中で暴れ出す。それが、シーツを引き裂く原因だった。

経済的に余裕のない私は、セカンドハンドショップで600円の中古シーツを買った。厚めの生地で、今度こそ大丈夫だと期待している。

毎晩の習慣は、「離婚体験談」のブログ巡り。直接の交流はないものの、不倫に苦しむ同志たちの言葉に救われている。怒り、涙、憎しみ、それぞれの表現は違えど、最愛の人に裏切られた痛みは同じだ。

占星術の先生に勧められてブログを始めたが、まだほとんど更新していない。それでも、他人の体験談を読むだけで心が少し軽くなる。この世界のどこかで、同じ経験をしている人たちがいると思うと、孤独感が和らぐ。

子供たちのことを思うと、この世から消えたいという考えは振り払わねばならない。でも時々、そんな思いが頭をよぎる。

安定剤のおかげで、なんとか眠りにつける日々。いつか、シーツを破ることもなく、安らかに眠れる日が来ることを願いながら、広いダブルベッドで一人、夜を過ごしている。

『新たな一歩 ?ブロガーからの手紙?』

病室からこんばんは。明日、婦人科手術を控えた私からの特別な投稿です。

14年前、人生の大きな転機となった出来事がありました。夫の不倫をきっかけに、私は「離婚経験談」というブログの世界に足を踏み入れました。当初は読者として、やがて執筆者として、そこで多くの仲間と出会い、支え合いました。

ブログを通じて知り合った方々との絆は、今でも続いています。なかには、「もう結婚はこりごり」と言っていた方が、外国人と再婚してアメリカに移住するという、驚くような展開もありました。

2022年、私は自分の経験を共有しようと新たなブログを始めました。「どんなに辛い状況でも、必ず笑顔を取り戻せる」?そんなメッセージを伝えたかったのです。しかし、過去の記憶がフラッシュバックし、二度の中断を経て、今回が三度目の挑戦となりました。

最近、ある読者からの指摘で重要な気づきを得ました。私の離婚裁判の経験は、現在の 制度とは異なる可能性があるということです。この気づきから、ブログのカテゴリーを 変更することを決意しました。

そして今、入院室で初めての手術を待っています。血圧は156/97と緊張で上昇中。明日からしばらく食事制限があるので、今夜の病院食が待ち遠しいです。

体調が許せば、病室からも更新を続けたいと思います。ただ、術後の状態は未知数なので、約束はできません。

これまで支えてくださった読者の皆様、本当にありがとうございます。これからも、新しい形で皆様とつながっていけたらと思います。

(追伸:まだ夕食が来ません。お腹ペコペコです…)

『手術前夜の小さな幸せ』

病室からの独り言

手術前日の朝。同じ経験をした高校時代の友人から「眠れないだろうから、睡眠薬をもらったほうがいいよ」とメッセージが届く。彼女は子宮筋腫で全摘出手術を経験している 先輩だ。

でも意外なことに、私は相部屋にもかかわらず、消灯と同時に深い眠りに落ちた。朝5時まで爆睡。これも数々の人生の荒波を乗り越えてきた賜物かもしれない。

そして朝一番で嬉しいニュースが!(女性の方には特に分かっていただけると思いますが)術前の準備で最も気になっていた「アレ」が不要だと告げられました。小さなことかもしれませんが、これだけでも心の負担が随分と軽くなりました。

ただ、これから始まる絶食期間が少し不安。すでにお腹が空いているのに、これからどのくらい食事ができないのだろう。でも、前向きに考えれば、これは願ってもない強制ダイエットのチャンス!普段の意志の弱い私には、絶好の機会かもしれません。

さて、これ以上書いている暇はありません。処置室から呼び出しがかかりました。術前の大切な準備に行ってきます。

追伸:朝からあまり上品でない話題で申し訳ありません。でも、何か書いていないと不安で仕方がないのです。

『手術直前レポート ?心強い応援を胸に?』

午前10時、特別な圧迫靴下を履かせていただきました。手術中の血栓予防に重要なものだそうですが、緊張のあまり詳しい説明は耳に入ってきません。ただ、これが私の命を守る大切なものだということだけは理解できました。

30分後、術前検査の内診がありました。実は私、内診が大の苦手で、いつも痛みを我慢するのが辛かったのです。でも今日は幸運にも、院内で評判の「痛くない内診」で知られる女医さんが担当してくださいました。これは今日二つ目の幸運!

そして13時00分、いよいよ手術用の点滴が始まりました。通常より太い針を使うと聞いていたので覚悟していましたが、これが驚くほど痛みを感じませんでした。看護師さんも「普通は痛がられるんですけど…」と驚いていました。これで今日三つ目の幸運です。

ただ、緊張で頭が真っ白で、点滴の説明も全く記憶に残っていません。

実は今日の手術、私には付き添いの家族がいません。一人で手術室に向かい、一人で病室に戻ることになります。もしよろしければ、このブログを読んでくださっている皆様、私の応援団になっていただけませんか?

甘えた言い方かもしれませんが、皆様の気持ちを胸に、しっかり頑張ってきます。

佳子より

『子どもの心を傷つけた大人たちへ』

夫の不倫が発覚した当時、小学6年生だった健二ももう中学2年生になり、       春からは受験生。

その日健二は小学時代の友達二人と、久しぶりに街へ遊びに行っていた。

新しいサッカーシューズを見てくると、楽しみに出かけて行った。

その日、中学2年生の健二は友達と過ごした後、見知った大人の車で送ってもらうことになった。小学生時代のサッカーコーチだった。

最初は和やかな雰囲気で、懐かしい思い出話に花が咲いていた。しかし突然、コーチは 意地の悪い半笑いを浮かべながら、健二に父親の居所と近況を尋ねた。友達の前でわざとらしく。

その晩、健二は暗い表情で帰宅した。事情を聞いた姉の美穂が怒りながら説明してくれた。コーチは父の不倫のことを知っていて、意図的に子どもの心を傷つけたのだと。

私は福井の田舎で過ごした自分の中学時代を思い出した。アイドル、好きな食べ物、漫画、友達との他愛もない日常。そんな平和な青春を過ごせた私と違い、健二は父の不倫という重荷を背負わされ、今や他人からも心ない言葉を投げかけられている。

確かに、夫を選んだ私にも責任がある。でも、罪のない子どもたちまでが傷つけられる理由はどこにもない。夫の両親からも、そして今や世間からも。

子どもたちを守れなかった親としての後悔と、他人の子どもの心さえ踏みにじる大人への怒りが、私の胸の中で渦巻いていた。

これは決して許されることではない。たとえ何度謝罪したとしても。

『ネットの闇 ~なりすましの恐怖~』

その夜、長らく避けていたパソコンの電源を入れた。息子の健二が傷つけられた原因は、きっとあの掲示板にあると直感していたからだ。

当時の私は精神的に追い詰められていて、音楽を聴くことも、テレビを見ることもできなかった。些細な感情の揺れにも耐えられず、すぐに涙が溢れ出してしまう状態だった。

恐る恐る地域の掲示板を開くと、例の投稿スレッドは相変わらず上位に表示されていた。膨大な書き込みの中を目を凝らしていくと、そこには衝撃的な発見があった。

私になりすました何者かが、夫や不倫相手の沙織に対して激しい攻撃の言葉を投げかけていたのだ。「財産を全て奪う」「この街から追い出してやる」といった脅迫めいた投稿の数々。

思わず「これは私ではありません」と書き込んでしまった私に、すぐさま様々な書き込みが殺到した。「本物が現れた?」「自殺未遂は本当?」「子供は非行に走ったって本当?」

恐怖に震えながらパソコンの電源を切った。しかし、最も衝撃的な事実は後から判明した。私の子供たち全員が、このおぞましい掲示板の存在を知っていたということだ。

匿名性という仮面の下で繰り広げられる残酷な言葉の応酬。それは現実の世界以上に、人々の心を深く傷つけていた。

『失われた絆 ~ママ友との距離~』

学校との関わりは、子育ての中で自然と生まれたものだった。三人の子を持つ自営業の母として、PTAや保護者会の役員を引き受けることは珍しくなかった。

私は学校が好きだった。先生との率直な会話も、子供たちとの触れ合いも、すべてが心地よかった。そして、その活動を通じて多くの母親たちと知り合った。

特に印象的だったのは、週に一度は互いの家を行き来し、手作りのお菓子を交換し合う ような親密な関係を築いた人たちだ。旅行のお土産を贈り合うほど、私たちは親しく  なっていた。少なくとも、私はそう信じていた。

しかし、夫の不倫が噂になり始め、離婚裁判が始まると、状況は一変した。インターネット上で私たち家族のことが話題になり始めると、それまで親しかった人々が、まるで霧のように消えていった。

連絡は途絶え、以前のような温かい交流は影を潜めた。もしかしたら、最初から私のことを本当の友人とは思っていなかったのかもしれない。でも、それなら何故あれほど頻繁に家に来ていたのだろう。

この現実を受け入れるのは辛かった。学校関係の知人たちとの距離は、まるで目に見えない壁のように広がっていった。

結局、これも私の運命なのかもしれない。そう諦めることで、私は徐々に外の世界から身を引いていった。特に、かつてのママ友たちと顔を合わせる可能性のある場所には、足が向かなくなっていった。

『思いがけない来訪者 ~真実の友情~』

玄関のチャイムが鳴ったのは、どんよりとした午後のことだった。インターホン越しに見えたのは、息子の悠人が通っていた幼稚園時代のママ友、朋子だった。卒園以来、   ほとんど連絡を取り合っていなかった彼女の突然の訪問に、私は戸惑いを隠せなかった。

「浅井っち、開けて!」という陽気な声に押され、玄関を開けると、そこには新鮮な野菜の山を抱えた彼女が立っていた。

朋子という珍しい名前で連絡先に登録されている彼女は、昔から「個人情報保護」を理由に本名を使うことを避けていた独特な人だった。

リビングでお茶を飲みながら、彼女は私の痩せた姿を心配そうに見つめ、「外に出て、 日光を浴びて、しっかり食べなきゃダメ」と諭すように言った。私が現状を説明しようとすると、「知ってるから、何も言わなくていい」と遮られた。

彼女の底抜けに明るい性格は、暗い気持ちに沈んでいた私に、小さな光を投げかけてくれた。帰り際、「野菜、ちゃんと食べてね」という言葉を残して去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、私は真の友情について考えていた。

人が困難に直面したとき、その人の側に立てるかどうか。それこそが本当の友情を測る物差しなのかもしれない。朋子は、その答えを私に示してくれた。

『思いがけない再会 ~癒しの時間~』

あの日以来、数日が経った頃、再び朋子が訪ねてきた。今度は俊介ママも一緒だった。 息子たちが幼稚園時代からの親友同士で、今でも交流が続いているという俊介ママとの 再会に、私の心は少し和らいだ。

「お久しぶり」という言葉を交わし、自然と三人でリビングに集まった。不思議なことに、この日は人と話すことへの抵抗感が全くなかった。

午後のひとときは、まるで時が止まったかのように穏やかに過ぎていった。幼稚園時代の思い出話に花が咲き、かつての先生の話や子供たちの成長の様子など、笑顔の絶えない会話が続いた。

二人は私の現状について一切触れることなく、ただ楽しい話題で場を包んでくれた。その優しさが、私の凍りついていた心を少しずつ溶かしていった。

夕方になり、「そろそろ帰らないと」と朋子が言い出すまで、気づけば5時間も経っていた。

「また来るからね。私たち、友達でしょう」

俊介ママのその言葉に、それまで堪えていた感情が一気に溢れ出した。温かい涙が頬を 伝う中、心の奥底から湧き上がる感謝の気持ちを抑えることができなかった。

この日の再会は、私にとって大切な癒しの時間となった。真の友情とは、このような何気ない優しさの中にあるのかもしれない。

『私からのメッセージ ~記録を残す理由~』

秋風が心地よい季節となりました。皆様におかれましては、季節の変わり目にお体を大切になさってください。

長らくブログの更新が滞っておりました。体調不良で寝込む日々が続き、特に出血が続くと思考も朧げになり、文章を綴る気力も湧いてこない状態でした。

このブログを続けている意味について、最近よく考えます。2010年から私の心の中で繰り返し問いかけてきた疑問です。

実は、このブログは家族にも、ほとんどの知人にも知られていません。子供たちが目にすることもないでしょう。それでも、私には書き続ける理由があります。

還暦を前に、人生の終わりについて考えることが増えました。私の抱える病は、今回の手術だけでは終わらない性質のものです。しかし、私は「不幸な人生を送った人」として記憶されたくはありません。

確かに辛い経験はしました。でも、そこから這い上がり、幸せを掴んだ―そんな証を残したいのです。現実の世界では、過去の出来事で私を判断する人もいるでしょう。だから こそ、私が精一杯生きた証をここに刻みたいのです。

もし可能でしたら、どうか私の物語を最後まで見守っていただけませんか。残された時間はそう長くないかもしれません。でも、その間だけでも、私の言葉に耳を傾けていただけたら幸いです。

今まで長いお付き合い、本当にありがとうございました。
これからも皆様には良き日が訪れますように祈りしています。

( 完 了 )

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