謝 罪
夫の不倫行為が明らかになった後、私はショックを受けていた。しかし、被害を受けた女性である内山さんのことが私の頭から離れなかった。彼女はうちの会社で働き始めたばかりで、夫の部下だったのである。
私は内山さんに会いたいと思い、電話をかけた。彼女はすぐに出てくれて、会うことに同意してくれた。喫茶店で会った彼女は、相変わらず明るくて可愛らしい人だった。
私は夫の行為を謝罪し、彼女に味方することを約束した。彼女は私に会いたいと思っていたと言ってくれた。私は彼女の優しさに感動し、涙が出そうになった。
彼女は私に、夫の行為が彼女のトラウマになっていることを話した。私は彼女に謝罪し、彼女の親御さんにも謝罪した。彼女は私に会いたいと思っていたと言ってくれた。
私は彼女に、彼女の人生に幸多かれと心から祈るばかりだと言った。彼女は私にありがとうと言ってくれた。私は彼女に頑張ってと言って、元気でいるように祈った。
この出来事は、私に大きな教訓を与えた。私は夫の行為を反省し、被害を受けた女性の気持ちを考えるようになった。私はこれからも、被害を受けた女性のために尽くすことを誓った。
嫌 悪 感(回想)
夫と私は、ある取引会社の創業記念のお祝いの席に招待されたことがあった。夫は人付き合いが苦手で、行きたくなかったが、私は義父に頼まれて夫を説得した。
会場では、夫がスピーチをすることになっていたが、夫は人前に出るのが苦手で、原稿を私に書いてもらった。私は夫を甘やかして、原稿を書いてやったが、夫のスピーチは失笑に包まれた。
その後、コンパニオンが会場入りし、夫はその中の一人を見て、嫌悪感を表明した。夫は、母を苦しめた父の浮気相手を思い出し、コンパニオンの行動を批判した。
私は夫の言葉を黙って聞いていたが、夫の嫌悪感は強かった。私は夫のトラウマを理解し、夫の気持ちを尊重した。
しかし、夫は後に不倫をし、愛人を囲うようになった。私は夫の豹変に驚いたが、人は変わるということを理解した。
私は夫の変化の原因を探ったが、本当の原因は誰にもわからない。ただ一つだけはっきりと言えることは、人は変わるということだ。
打ち合わせ(1)
私は弁護士の事務所を訪れ、離婚調停の手続きを依頼した。私は夫の不倫を知ってから、離婚する気はなかったが、夫の態度や義父母の裏切りなどにより、気持ちが変わった。
私は弁護士に、離婚の意志がないことを確認した。弁護士は私の気持ちを理解し、調停で夫の考えを聞くことを提案した。
私は夫に話し合いを持ちかけたが、夫ははぐらかすばかりで相手にされなかった。私は調停で夫の誠意ある言葉を聞きたいと思っているが、夫からそんな言葉が出てくるかどうかはわからない。
弁護士は私の気持ちを理解し、離婚の意志がないということで進めていくことを確認した。私は弁護士に感謝し、調停の手続きを進めることにした。
打ち合わせ(2)
私は弁護士の事務所を訪れ、離婚調停の手続きを進めていた。弁護士は、私に離婚の意思がない限り、離婚にはならないと安心させた。
私は、調停を利用して夫に大学費用を払うことを約束させることを目標にした。弁護士も、調停で決まれば夫が気まぐれに額を減らしたり払うのを止めたりすることができなくなるので、むしろその方がいいと言った。
私は、調停に必要な書類に署名捺印し、分厚いファイルを3冊とICレコーダーを弁護士に渡した。ファイルには、夫の不倫がはっきりしてから集めた資料が入っていた。ICレコーダーには、女の家に乗り込んだときの録音や、議員事務所で不倫女の親族と夫と義父に吊し上げにされたときの録音などが録音されていた。
弁護士は、私の準備に感心し、すべての資料を拝見すると約束した。
私は、初めは罪悪感でいっぱいだったが、もうそんな気持ちはどこにもない。私には、子供たちのために進学費用や生活費を勝ち取ることが最優先事項なのだ。そのためには、這いつくばってでも、泥水を飲んででも、私は全力を尽くすのみだ。私の心は固まった。
弁護士からの電話
私は弁護士事務所を訪れてから数日後、弁護士から電話を受けた。弁護士は、私が集めた証拠品をすべて拝見し、ICレコーダーでの録音も聞いたと言った。
私は、録音の内容がひどいものだったことを知っていたが、弁護士の反応を聞いて安心した。
弁護士は、録音の内容が「めちゃくちゃでひどい」と言い、相手の言動が狂っているように感じたと言った。
私は、相手の言葉に傷つき、自分が狂っているのではないかと不安に思っていたが、弁護士の言葉で安心した。私は、自分が正しいことを認識し、戦う勇気が湧いた。
私は、弁護士に感謝し、子供たちのために戦うことを決意した。まずは、長男の大学の進学費用を確保することが目標だ。私は、センター試験まであと3か月という時間に追われながら、戦い続けることを決意した。
離婚調停その日(1)
私は冷たい朝に、子供たちを学校に送り出した。夫が家を出てから間もなく一年が経過していた。子供たちは、自分たちの両親がなにをするかなど、 全く知らないまま私の作った弁当を手に元気に玄関を後にした。
私は今さらながら、自分の弱さを後悔している。私は20年間、一度も自分の給料を手にしたことがない。私の給料は、家族の将来のための貯金として、直接夫名義の通帳に振り込まれていた。
私は甘過ぎた。バカだった。危機管理能力のなさに自分のことながら呆れる。だから自業自得なのだ。NOと言えなかった私が悪い。
しかし、私はなんとしても夫に進学費用を家族の通帳から出させなければならないのだ。残高はあるのだから。コツコツと2人で貯めてきた家族のお金なのだから。
夫は昨年別居した後、ベンツの新車を買った。不倫相手へ良いところを見せたかったのか。それとも不倫相手にねだられて買ったのか。そんなくだらない理由のために、大事な我が息子の大学進学を断念させることは絶対にできない。
私は今日、家庭裁判所にて、離婚調停が始まる。長い長い私の法廷闘争が始まる。私はあの子たちの、あの笑顔を消すことは絶対に許さない。何があってもだ。
離婚調停その日(2)
私は裁判所に向かうために、白のワイシャツに濃紺のスーツに着替え、髪を後ろに束ねた。カバンにはノートとペン、そして裁判所からの書類を入れた。私は一度も行ったことがない裁判所に緊張しながら向かった。
私は一時間も早く家を出た。夫と顔を合わさないためだ。私は夫が怖くてならなかった。私は路肩に一旦車を停めると、裁判所の駐車場に夫の車がないか確認した。
私は裁判所に着くと、玄関の自動ドアを通って中に入った。所謂受付らしきものがないので、右手のドアに書記官室と書いたプレートが貼ってあるドアをノックした。中に入ると、小さな受付テーブルらしきものがあった。
私は受付を済ませると、3階の6畳ほどの部屋に案内された。入り口には「相手方待合室」と書いてあった。曇りガラスのドアを開けると、そこに私の弁護士がいた。
「おはようございます。美咲さん、早かったですね」と弁護士は言った。
「おはようございます。先生こそ」と私は返事をした。
弁護士は「今日は、どうぞよろしくお願いします」と言った。
私は頭を下げた。
離婚調停その日(3)
私は待合室で弁護士と向き合ってシートに腰を下ろし、先日の打ち合わせの再確認をしていた。すると、緊張から息苦しくなった。
弁護士は「大丈夫ですか?具合悪いですか?」と心配そうに聞いた。
私は「夫と同じ建物にいると思うだけで怖くて…情けないですね」と答えた。
弁護士は「ここは相手方の待合室ですから、ご主人はここに来ることはありません。ここにいる限りは、旦那様とは会うことはありませんから心配しないでくださいね」と安心させてくれた。
しばらくすると、弁護士は待合室を出て行った。私は一人になって、裁判所内は何の音もせず、しんと静まり返っているのに気付いた。
すると、静かな廊下に、カツンカツンと革靴の音が聞こえた。なぜかそれが、夫のものだとわかる。私は半開きのドアからそっとのぞくと、離れた部屋に入っていく夫の横顔が見えた。
同じ建物に夫がいる、そう思ったら途端に胸が苦しくなった。私は慌てて予備の安定剤を口に入れた。
こんなことで、ほんとに私は夫に勝てるのだろうか。私は不安に思った。
離婚調停その日(4)
私は離婚調停の第一回目の開始時間に、裁判官から行われる調停に関する説明を夫とは別々に聞くことになった。私は別室調停を望んだため、夫とは別の部屋で説明を受けた。
調停室は小さな会議室のような部屋で、6人掛けのテーブルと椅子、それと内線の電話機があるだけだった。私は促されるまま、弁護士の隣に座った。
目の前には60歳前後の男女が一名ずついて、調停委員だと紹介された。調停委員から、調停の意味と流れが口頭で説明された。
その後、夫が入室し、詳しく話を聞かれた。私は夫の足音と調停室のドアが閉まる音を聞いただけなのに怖くて動けなかった。
そして30分後、私の番だ。調停室に入ると、調停員が口早に説明した。夫から聞き取った夫の言い分を。
夫の回答は、結婚当初より感じていた著しい妻との性格の不一致と、目に余る妻の家事の怠慢のため、離婚したいと思ったと言った。
しかし、夫の回答はほとんど嘘だった。家事は自分がしてきた?食べた茶碗も下げないくせに?こんな大嘘をつくんだ…しかも裁判所で。信じられない。
離婚調停その日(5)
私は離婚調停の場で、夫の嘘に驚いた。夫は事実とは大きく違う真逆の嘘を平然と話していた。裁判所という場所で、これほどの嘘をつく勇気は私にはない。
夫の話すその場には同席していないものの、平然と嘘話をする夫を想像すると怖かった。いくら、自分の望みを叶えるためとはいえ、そこまでするのか。
夫の言い分の中で私は、家事もせず子供のことも構わない、最低のだめ女に仕立て上げられていた。私は大きな驚きと、次第に悔しさと怒りがこみ上げた。
調停委員は夫の言い分を信じ、生活費のこともしっかりやられていると言った。私は嘘だと言いたかったが、調停委員は私に「ここはよく考えられてはいかがですかね」と言った。
私は正直がっかりした。裁判所とは善悪を見極めるところではないのだな。私はこの調停という場で、夫により、主婦の風上にもおけないとんでもない愚妻に仕立てあげられようとしている。
私は自分なりに頑張ってきた主婦として妻としての意地だろうか。プライドか。私にだってそんなものがあるのだ。離婚調停なんてそんなものよと、経験者は言うのかもしれない。しかし、全てが初めてだった私にとって、公衆の面前で、あることないこと嘘をつかれ、まるで悪妻の見本のような女に仕立て上げられることの屈辱感は尋常ではない。
離婚調停その日(6)
調停委員は時計に目をやった後、こう言った。「奥さん、旦那さんも誠意を見せるとおっしゃっているわけだし、離婚のこと、少し冷静に考えてみられてはいかがですか?」
私は調停委員の言葉に腹が立った。まるで冷静で誠意ある行動をとっているのが夫で、感情的になってそれを受け入れないヒステリー女が私のような物言いだった。
しかし、私が耐え切れずに反論しようとしたそのとき、弁護士が口を開いた。「先方の言い分はわかりました。しかし、こちらの言い分は全く違います」
弁護士は夫の不貞行為を明らかにし、夫の言い分が事実と大きく異なることを指摘した。調停委員の顔つきが変わった。
弁護士はさらに、「申立人は別居以来実家には住んでおらず、その不貞行為の相手の家にすでに同居しているのが事実です。ですから、申立人は有責配偶者ということになります」と言った。
私の言いたかったことは、全て弁護士が代弁してくれた。夫は自分が不倫していることも、既に女宅に住んでいることも隠して離婚できるとでも思っているのだろうか。理解できない。
夫は馬鹿だが、ここまで馬鹿な人間ではなかったと思う。なにが夫をここまで狂わせているのか。沙織とはいったいどんな女なのだろう。
離婚調停その日(7)
私は調停室を出て、佐藤弁護士にお礼を言った。弁護士は私の気持ちを理解し、的確に私の代弁をしてくれた。
調停委員は夫の不貞行為について確認したが、夫はそれを否定した。私は信じられないと思ったが、弁護士は話題を変えて、長男の大学進学費用について話し始めた。
弁護士は、夫が約束したにもかかわらず、進学費用を支払わないのは社会通念上許されることではないと指摘した。調停委員は、進学費用について夫に確認することを約束した。
私は胸が空く思いがした。弁護士が私の気持ちを理解し、的確に私の代弁をしてくれたからだ。
待合室で待つ私たち。調停委員が戻ってきた。
「先ほどの、お子さんの進学費用の件、申立人に確認しましたところ次回、回答するとのことでしたので…」
私は心の中で叫んだが、実際口には出さなかった。弁護士の戦略の邪魔をしてはいけないと思ったからだ。
弁護士は冷静にあっさりとそう言った。
「美咲さん、調停も調停委員や裁判官が関わる人が行うものです。そこにはやはり心証というものがあります。押すところは押し引くところは引く必要がある。今日確約を取れなかったのは残念ですが、良い具合に進んだと私は思いますから大丈夫です。今日はお疲れ様でした」
私は信じよう。弁護士の言葉を信じよう。
私は窓から外をうかがった。真下に夫の車が見えた。間もなく、スーツ姿の夫が現れるとキョロキョロとあたりを見渡し車に乗り込んだ。私が見ていないか気にしているのか。
私は夫の車を見て、夫の価値観に疑問を感じた。
青い目の男
私は離婚調停の場で、人格を否定され、嘘を並べ立てられ、人としての尊厳を傷付けられた。調停委員は「みなさんそんな感じですよ」と言うかもしれないが、私にとっては屈辱的でショッキングな出来事だった。
その後、私はひどく体調を崩した。ある日、私は明け方に夢を見た。夢の中では、私と子供たちが見知らぬ家に泊まっていたが、家はボロボロで窓や玄関の鍵がかからなかった。私は戸締まりをしようとしたが、閉めても閉めても鍵がかからなかった。
私は祈る思いで寝ずに過ごす決心をしたが、不覚にも眠ってしまった。暫くして、子供たちの叫ぶ声を聞き、私は慌てて飛び起きた。暗がりの中で、一つの人影だけが見えた。大人で男だった。その男はサバイバルナイフを振り上げており、子供たちに向けていた。
男の目は青白く光っていた。私は絶望し、恐ろしさに意識を失っていった。
夢から覚めると、私は激しく泣いていた。なぜこんな酷い夢を見たのだろう。夫は化け物に変わっていた。情も何もない化け物に。彼は愛する子供たちをその手にかけた。
夢は所詮夢だが、私たちを疎ましく思う夫の気持ちには変わりがないだろう。もう昔の夫はいない。なぜこんなことに?なぜ私たち家族が?
私は寒い冬の夜、恐ろしい夢を見て、一人ベッドで目を覚ました。私は孤独と恐怖に身を震わせて泣いた。これ以来私は、度々夢でこの青い目の怪物に悩まされることになるのだった。
ラ イ ン
私は夫と戦っている。愛していたはずの夫と。私は普通の家庭を築き、子供たちを育て、小さな幸せを見つける人生を送りたかった。夫と二人で細々と事務所を続け、義父母の面倒を診て、自分たちも穏やかに年老いていく、そんな未来を私は想像していた。
しかし現実は、そんな私の希望とは全く逆で、私たち夫婦の戦いは夫によってとうとう法の場に持ち込まれた。弁護士はその道のプロである。だから、それぞれ私たちに、勝つために有効な手段を授けるのは当たり前のことだろう。
だが一つ、私がどうしても受入れられず、これから長年苦しめられる手段を先方弁護士は夫に授けた。夫は毎月1日に子供たちにラインを送るようになった。意味不明の一言ラインが、毎月1日に子供たちの携帯に届くようになる。
この一言ラインにはちゃんと意味があった。「悪意の遺棄」子供達を置き去りに家を出た夫。進学費用を出すのを断った夫。家を出て以来一度も子供達に会いたいと言ってこない夫。どれをとってもこのままでは、夫は子供達に対して、悪意の遺棄をはたらいていると認定されても仕方がない。だからの毎月一度の一言ライン。
私は許せないのは、同じ理由でラインしてくるにせよ、もうちょっと子供を気遣うふりや、心配しているふりを我が子の気持ちを慮ってできないのかということ。嘘でもいいから。心なんてなくていいから。
子供達は、その夫の一行ラインの意味をまだ知らない。「変なことしてくるな」としか、思っていないようだ。でもしかし、そのラインの意味を、いつか知る日が来たとしたら、子供達がどんなに傷付くか。夫には想像も出来ないのだろう。
この後、法の場の戦いが終わるまで何年もこの一行ラインは続く。私はたまにだが、子供たちにそう聞くことがある。「今月もお父さんからライン来た?」
子供たちは夫のラインを、誰もブロックしないのだ。家に帰らず、自分たちを顧みない父なのに。意味不明の勝手なラインを送ってくるだけのラインなのに。ブロックしてしまえば、そんな意味不明のラインを二度と見なくて済むのに。
この先何年も、おそらく一生子供たちは夫をブロックしないと私は感じている。ブロックしないその意味を考えると涙が出る。子供の気持ちを想うと申し訳なさ過ぎて涙が出る。私の胸は締め付けられて、どうにもこうにも辛くてたまらないのだ。ブロックしないという無言の行動が、子供たちの夫への気持ちを表しているから。
思春期の我が子に、こんな思いをさせている私たち夫婦は最低の親だ。親の資格なんてないのだ。
所長に(回想)
私は夫の父親から、夫の設計事務所を継いで所長になってほしいと言われたことがあった。私は驚き、「どうして私が?夫がいるじゃないですか」と問い返した。義父は、「それはわかっているが、お前が所長になってくれ」と言った。
私は「私が所長になったら、夫はどう思いますか?そんなのかわいそうですよ」と心配したが、義父は「俊太郎は経営者の器じゃない」と言った。私は義父の言葉に少し理解を感じたが、「私が所長になっても、夫婦関係が壊れるかもしれません」と言って断った。
しかし、義父は何度か私にその話を持ち掛けた。その後、夫が事務所を継ぐことが決まった。義父は「俊太郎は経営者の器じゃない」と言った言葉を私は今でも覚えている。
夫が所長になってからは、義父は事あるごとに「俊太郎、お前は美咲の言うとおりにやっていればいいんだ。所長はお前だが、この事務所の要は美咲だ」と言った。夫にすればそんなことを言われておもしろいはずがなかったろう。
私は今、夫に捨てられてしまったが、もし私が所長になっていたら、私の人生はどんなだったかなと思っている。私が所長になっていれば、少なくともこんな風に夫に捨てられることはなかったのでは?と考えることもある。
義 父 来 る
私は夫と離婚調停を控えていたある日、義父が突然私の家に現れた。義父は私に「元気か?」と尋ねたが、私は義父の態度に腹を立てていた。義父は私を馬鹿にしているのだ。私には親兄弟もなく、頼れる味方が一人もいないことを知っているから。
義父は私に「離婚調停始めたって俊太郎から聞いたんだが」と言った。私は「なんなんですか」と尋ねたが、義父は「前にも言ったけど、お前達が離婚しようがどうしようが俺には一切関係ないからな」と言った。
私は義父の言葉に驚いた。なぜこんなことをわざわざ言いに来るのだろう。義父はなにかを隠しているのか。
義父は「いいか?ちゃんと言ったからな?俺を巻き込んだりしたらただじゃすまんぞ!」と言い捨てると車に乗り込んだ。私は義父の言葉の意味を理解できなかったが、後にその意味を知ることとなるのだった。
この時、私はまだ気が付いていないが、義父は私を恐れていた。その恐れを解消したくて、わざわざ私に会いに来たのだ。義父が恐れること。それは私がまだ知らないことだった。
第2回離婚調停(1)
私は2回目の離婚調停の日を迎えていた。子供たちには父と母が離婚調停をしていることや、夫の不倫について一切伝えていない。子供たちは父と母の間になにかあるのは察しているが、私がでっち上げた父が帰らない大義名分があるため、生活は今まで通り続けられている。
前回の調停で、弁護士から「進学費用は子供達との約束通り、夫が持って出た預金から支出するということでいいのか」という問いに対して、夫は次回の調停で回答すると述べた。私は普通の父親なら、例え妻に愛情がなくなったとしても、子供に対してひどい仕打ちはできないのではないだろうかと思った。しかし、夫は今や普通ではない。
私はスーツに着替えると車に乗り込み、裁判所に向かった。2回目の調停とはいえ、慣れることはなく、やはり動悸がして手の指先が異様に冷たい。裁判所が見えたが、駐車場に夫の車はまだない。私は夫と顔を合わせるのが怖くて急いで駐車場に入ると受付を済ませ、一人相手方待合室に駆け込んだ。
待合室にはもう弁護士がいて私に声をかけた。私は「先生、私長男の大学進学費用のこと、夫がどんなふうに言ってくるのか考えると怖くて怖くて夜も眠れなくて」と言った。弁護士は「常識的に考えれば、今美咲さんがおっしゃったことがもっともで理屈が通っているんです。でも、法的には名義が俊太郎さんである以上、その預金は俊太郎さんのものということになります」と説明した。
私は絶望した。20年前結婚し、義父の設計事務所に事務員として入った私。義父は「お前の給料も、俊太郎の通帳にまとめて入れておくからな」と言った。私はそれを拒むことが出来なかった。まさか、こんなことになったときの用心のために義父はそんなことを言ったのではないよね。そんな恐ろしい想像が、ふと浮かんで私の気持ちは益々堕ちていった。
私は夫が父としての気持ちを思い出し、大学進学のための費用は出すと言ってくれますようにと祈った。進学は離婚問題とはまた別と思い直してくれますように。もう私にできることは祈ることだけ。
第2回離婚調停(2)
私は2回目の離婚調停の日を迎えていた。夫は大学進学の費用について回答する約束だったが、突然の体調不良で病院で点滴を受けていると言い、調停を欠席した。私はひどく取り乱した。夫の弁護士は「仕方ない」と言っていたが、私は「約束は約束じゃないんでしょうか」と食って掛かった。
調停委員は「しょうがない」と言っていたが、私は言いたいことは山ほどあった。佐藤弁護士の顔は、取り敢えず今日はここまでにしましょうと私に言っていた。私は先方弁護士にぶつけたい言葉の数々を飲み込んだ。
待合室で、佐藤弁護士は「ちょっと進学費用について、私なりに動いて先方弁護士とも話してみますから」と言った。私は佐藤弁護士に挨拶をし、相手方待合室を出た。
私は夫の設計事務所へ行き先を変えた。事務所の駐車場には夫のベンツが停まっていた。夫は普通に設計事務所にいた。信じられないことだが、仮病だった。仮病で調停を欠席した夫に私は怒りを感じた。もしかして私を苦しめるため?信じられない。もう許せない。
子 供 の 心
私は2回目の離婚調停の結果に打ちのめされていた。夫は体調不良を理由に欠席したが、実際には設計事務所にいた。私は夫の行動に怒りを感じた。子供の進学費用を出すか出さないかは、夫の意志ではなく、黒幕がいるのではないかと疑った。
進学費用を出すか出さないかは、12月半ばの3回目の調停に引き延ばされてしまった。もし夫が進学費用を出さないと結論を出した場合、私はどうしたらいいのか。子供に何と言ったらいいのか。
私は子供たちの進学のために、学校に相談し、ネットで学生向けの安アパートを検索した。子供たちは進学を楽しみにしているが、私は心配で気が狂いそうになる。
私は子供たちを守りたい。彼らを傷つけないでほしい。私はもうどうなってもいいから、子供たちの心だけは傷つけないでほしい。神様、どうかこの子たちを守ってください。
否 認
私は3回目の離婚調停を控えていた。佐藤弁護士から電話がきた。裁判官と夫の弁護士と話をしてくれたらしい。裁判所は子供の人権に対しては敏感で、温情を示してくれることが多いらしい。
「大学進学なんて、ご本人にしてみたら一生を左右しかねない問題ですからね。そこは離婚問題とは別に、早急に進めて頂きたいとお願いしておきました」と佐藤弁護士。
私は感激したが、焦る気持ちもあった。調停はほとんどが一か月に一度。大学の入学手続きの期限が切れてから、進学費用はやっぱり払いますと言われても遅いのだ。
佐藤弁護士は「焦る気持ちもわかりますが、もうしばらく向こうの出方を見てみましょう」と言った。
私は「はい…わかりました」と答えた。
しかし、夫は不貞行為を否認した。私は驚いた。夫は私の前でも、沙織の話を何度かしている。義父の知人の市議会議員の事務所で、夫や義父、沙織の親族と議員を交えて話だってしているじゃないか。不倫していないならそもそも、あの話し合いはなんだったの?
私は「そんなことがまかりとおるんですか?見てる人だって証人だっているんですよ。その人たちに聞いてもらえばすぐにわかることじゃないですか」と言った。
佐藤弁護士は「美咲さん、裁判所は調停でそこまでは調べません。第三者の証言を聞くことはありません。調停はあくまで二人の話合いを助ける場でしかないからです」と言った。
私は「そんなばかな…。証人も目撃者もいるのに不倫の事実を証明できないってことですか?そんなおかしな話があるんですか?」と言った。
佐藤弁護士は「美咲さん、落ち着いて。不貞行為と進学問題は別です。まずは進学問題からはっきりさせましょう」と言った。
私は「はい…」と答えた。
私は、調停では弱者や被害者が守られるわけではないことを知った。自分の身を守りたければ、結局自分自身で戦うしかないということだ。
札 束
私は夫が家を出て行った年の暮れに、夫が子供たちと過ごす時間を設けることにした。夫は大晦日に久しぶりに我が家に顔を出し、子供たちと共通の 趣味である漫画やゲームの話で会話を弾ませた。子供たちの顔から笑顔が こぼれ、血の繋がった親子であることが感じられた。
しかし、その家族団らんの時間は年を越さずして終わりを告げた。夫の携帯が鳴り、不倫相手の女から電話がかかってきた。夫はすぐさま女の元へ帰って行き、引き留める小学生の健二の手を振り払った。健二は泣き出し、紅白の結果も見ないまま、子供たちはそれぞれの部屋へと引き上げていった。
その夜、私は結婚して初めて、紅白のエンディングを一人で見た。除夜の鐘を聞いてだいぶ経ったが、夫のことがショックで私は眠れずにリビングにいた。階段を誰かが降りてくる音が聞こえ、リビングの薄明かりに入ってきたのは悠人だった。
悠人は「お父さんさ…家に帰って来なくなる前から、なんかおかしかったよね。じいちゃんの設計事務所引き継いだころから」と言った。私は悠人の言葉にドキッとし、まさか不倫のこと何か知っているのではと心配した。
悠人は「お父さんが、財布から一万円札の束?みたいの出してこれが欲しいのか?って言って」と続けた。「俺のほっぺた叩いた。その札束で。しかも笑いながら。あれ正直ショックだったな。自分の親がこんなことすんのかって」と言った。
私は夫の行動にショックを受け、悠人に謝った。悠人は「なんでお母さんが謝んだよ。お父さんがやったことなんだから」と言った。
私は夫の行動に疑問を感じ、悠人の言葉に共感した。私の父は普通のサラリーマンで、高給取りでもなければ、飲み屋でモテたなんて話も一度も聞いたことがない。しかし家族を愛し、慎ましく穏やかに暮らし、家族に惜しまれたままガンで亡くなった。
私は夫の行動に失望し、子供たちにとってそんな父親を取り戻すことが幸せと言えるのかと疑問に思った。昔のままの夫ならまだしも、夫がうちに戻るようなことがこの先あったとして、それが子供たちにとって幸せと言えるのか。
私は夫に捨てられるのではない、私たち親子が夫を捨てるのだと心に決めた。
願 書
夏のある日、私は夫を家に呼び、子供たちと進学について話し合った。夫は渋りながらも、長男悠人に「行きたい大学に行っていい」と言った。悠人は父親の承諾を受け、東京国立大学のオープンキャンパス見学ツアーに参加した。悠人はその大学に憧れており、建築士を目指していた。
数日後、悠人が第一志望の大学の封筒を受け取った。封筒の中には学校案内と受験の願書が入っていた。悠人は目が輝き、夢と希望に満ちていた。
悠人は母親に「寮に入れたら一番いいね。でもダメなら高いアパートはちょっと無理だけど、家賃の安いアパートでも寮でも」 「お母さんは悠人のいいほうでいいと思うよ」と言った。
私は「もちろん聞いてるよ。寮に入れたら一番いいね」と応えた。
その後、美穂と健二が夕飯に降りてきて、悠人にちょっかいを出した。悠人は「いいだろう~」と応え、美穂は「お兄ちゃんが東京行ってくれた方がいいな。だってちょくちょく遊びに行けるもの。泊めてももらえるしね」と言った。
しかし、母親の胸は締め付けられるように苦しくなった。センター試験まであと一ヶ月で、進学費用のめどは一切立っていなかった。母親は「私はくじければ、私が諦めれば、この子たちの未来は大きく変わる。私は死んでもできない。この子達の夢は、なにがあっても私が絶対に守る」と思った。
住む場所(1)
年末が近づき、家族の時間を過ごす機会が増える。しかし、昨年の年越しは夫の突然の帰宅とその後の沙織からの着信で台無しになった。
今年は二人の受験生を抱え、家族の気が紛れている。そんなとき、長男悠人が願書のことで悩んでいた。
「保護者を記入する蘭がどうなるのかな?お父さんの名前でいいのかな?」
悠人の質問に私は面食らった。夫が家を出た当初、私は子供たちに「義母の体調不良のため、義父母の家に泊っている」という苦しい言い訳をした。しかし、子供たちはいつまでも信じているわけがない。
私は「もちろん、お父さんの名前でいいんだよ」と答えた。しかし、悠人は父親の現住所をどう書けばいいのか迷っていた。
「実際はじいちゃんのところに住んでいるんだから、じいちゃんのとこの住所を書くのが正しいんじゃないのかな…」
私は「なるほど、そんなこと考えてたんだね」と答えた。しかし、心の中では「ダメな両親のために犠牲になるのはいつも子供だ」と思った。
センター試験まで一か月を切っている。私は悠人に「調べてみるから心配しないで!」と答えたが、心の中では「悪いのは父と母だ。ダメな父と母だ」と思った。
大学受験の追い込みなんて、受験生はただただ受験のことにだけ集中していれば良い。
しかし、悠人はこんな両親を持ったばっかりに、余計な心配をしなければならない。
本当に申し訳ない。
住む場所(2)
私はある人に電話をした。彼女は私のママ友で、昨年市議会議員の事務所で私が夫と義父と女の家族に吊し上げにあった際にばったり会った人だった。彼女は子供が3人おり、既に2人を大学に送り出している。
私は彼女に「夫の現住所にうちの住所書いたらまずいのかな?」と相談した。彼女は
「旦那さんが今ほんとに住んでいる場所って義父の家じゃないでしょ?」と返した。
私は「もちろん、不倫のことは何も言ってない」と答えた。
彼女は「だったら不倫相手の住所書かせるわけにいかないよ」と言った。私は「でも、なにもないかのように、住んでいないのに、うちの住所を書くのが嘘をつくみたいでいやだって言う悠人の気持ちもわかるんだよね」と言った。
彼女は「そりゃあ願書なんて大事なものに、嘘書きたくないよ」と返した。私は「大学側で調べたりしないのはわかってるんだけどね」と言った。
彼女は「いっそ担任に相談してみたら?だって願書って言えば、悠人くんだけじゃなくてその後に美穂ちゃんの高校受験だってあるじゃない。その時また願書書くわけだし、私たちで無い知恵絞るより受験に詳しい担任の先生にきちんと相談して間違いがないようにしたほうが、すっきりするんじゃない?」と提案した。
私は「ありがとう、そうしてみるよ」と答えた。私は夫が住んでいる本当の場所は不倫女の家であることを隠すために、また一つ次の嘘を積み重ねることになる。私は大嘘つきの母親だ。私はいつまで、子供たちに嘘をつき続けなければならないのだろうか。
私はママ友の提案通り、悠人の高校の担任の先生に相談することを決めたのだった。
住む場所(3)
私は担任の先生に、夫の不倫と実際の住所について相談することにした。しかし、どこまで本当のことを話せばいいのか迷っていた。子供たちには夫の不倫について何も話していないので、先生に本当のことを話すとすれば子供たちにはその事実を伝えないでくれと念を押さなければならない。
私は小心者で、人に嘘をつくことが怖い。誰に嘘がばれずとも、嘘をついたという良心の呵責に押しつぶされて自滅するような弱いメンタルの持ち主だ。先生に嘘話をすれば、
また人に嘘をついたという良心の呵責に押しつぶされそうにきっとなる。
私は先生には口止めした上で、本当のことを全部話そうと決めた。父親が不倫で家を出たという普通ではない環境を理解してもらえば、気に留めて学校でも悠人の様子を見てくれるのではないだろうか。
私は悠人の部屋のドアをノックして、明日学校に電話することを伝えた。悠人はすぐに了解したが、私は彼の反応が気になった。住所のことを相談に行くということは、どんな理由にせよ自分の父親が長い間家に帰っていないということを、担任に話すということだから。そんなことを、担任に知られることがほんとはどれだけ嫌だろうか。
しかし悠人は嫌な顔一つせず、私や父親を責めるような言葉は一言も吐かなかった。私は悠人の作り笑いが切なくて、ただただ悠人に申し訳なくて苦しくて仕方ないのだ。
住む場所(4)
私は悠人の担任の先生と面談した。先生は40代男性で良い先生だと人気の先生だった。私は夫の不倫と実際の住所について相談した。先生は私の体重が10キロ以上落ちていることに気づき、心配してくれた。
私は夫が不倫していること、一年以上も前に家を出て不倫相手の女の家で暮らしていること、子供達にも一切連絡がないこと、離婚調停の最中であること、悠人が保護者である夫の住所に関してどう書いてよいのか悩んでいること、そして一番は子供達はこの事実を全く知らないと言うことを話した。
先生は私の話を聞いて、「正直私がお母さんを助けるために、できることはなにもありません」と言った。しかし、「学校での悠人くんを守ることは、全力で私がします。私も副担任もサッカー部の顧問も、みんなで悠人くんのことを守ります」と続けた。
私は先生の言葉に涙を流した。保護者欄の住所の件を聞きに来たのに、まさかここまで心強い言葉をもらえるなんて。ずっと一人で戦ってきた私には、一人でも力を貸してくれる人がいることが本当に嬉しかった。
先生は願書に書く住所の件について確認してからご連絡すると言った。私は不倫のことはくれぐれも悠人には内緒にと、何度も何度も念を押して学校を後にした。
私は卒業までの時間が短いことを知りながらも、受験という大事な時期を先生がみんなで悠人を見守ってくれるという心強い言葉に感謝した。しかし、進学費用の目途が未だついていないということまでは言えなかった。私は進学費用をどうするかを考えなければならない。私は絶対に子供たちは私が守る。なにがあっても絶対にだ。