PR

浮気旦那と離婚に至るまでの道のり(9)

不倫
記事内に広告が含まれています。

夫の異常さに気が付くまで

私は夫のことをよく知らなかった。結婚して子供が生まれても、夫は子供たちに興味を
示さなかった。長男が生まれたとき、夫は病院に来ることもなく、お祝い麻雀と称して
友達と遊んでいた。私は夫に「赤ちゃんの顔見たくないの?」と聞いたが、夫は「忙しい」としか答えなかった。

子供が3人いるのに、家族旅行は18年間で2回しかなかった。私は夫にお願いしたが、
夫は「連休なんて、どこ行ったって混むんだからお出かけはしない」と答え、自分は
ゴルフに出かけていった。

子供たちの通知表を見てもらいたいと言っても、夫は見ようとしなかった。私は夫に
促しても、夫は通知表を手に取ることをしなかった。

今考えると、夫は普通の父親ではない。子供たちに興味がないから、見ない理由は私と
喧嘩をしているとか、仕事が忙しいとかそんなことではない。

私は夫の異常さに気が付くまで、長い時間がかかった。もし結婚する前に気づけたら、
子供ができる前に気づけたら、大学時代に気づけていたら、人生は違っていたかもしれない。

しかし、人生に「たら」「れば」はない。私はあんな人を生涯の伴侶に選んだのは私自身の責任だ。

夫は今、別の女性とその息子と暮らしている。私はその息子のことを心配している。
愛されていないとわかりながらも、母親が連れて来た見ず知らずの男と暮らさなければ
ならない息子の気持ちを想像することはできない。

私は不倫は周りの人たちの心を殺す罪だと改めて思う。大人たちの勝手な理由と勝手な
理屈で繰り広げられる不倫劇。その子供たちは有無を言わさずその渦中の人となる。
そんな子供たちの心の一部を、どうか殺さないでください。彼らはまだ、自分で自分を
守る術を知らないのだから。

長男悠人の大学受験

明日は長男悠人の大学受験の日で、今日は夫と二人で東京へ向かう日だ。夫は以前、不倫している事とその女とその家族と一緒に生活している事を子供たちに話したいと言った。私は「なぜ無駄に受験生の子供たちの心を傷つける必要があるの?」と尋ねたが、夫は「子供たちに早く本当のことを話して、俺が楽になりたいから」と答えた。

朝食を済ませ、悠人は最後の持ち物チェックをしていた。弟の健二は「お兄ちゃん、東京のおみやげ買ってきてね」と言った。妹の美穂は「お兄ちゃん、お父さんにいやなこと言われたら蹴り入れてやんなさいよ!私が許すから」と笑った。みんなその子なりに励ましている。

私は悠人に必要経費以外に、非常用として3万円を渡した。その時、玄関前に車が停まった音がした。悠人の携帯が鳴り、「お父さん、着いたから出て来いだって…」と言った。家には入って来ないのか。

私は今できる最大の笑顔で「気をつけて行ってくるんだよ。悠人なら絶対に大丈夫!!なにかあったらすぐに電話してね」と言った。美穂と健二も外までは行かず、玄関の中で見送った。

悠人が玄関を出て行き、車のドアが閉まる音がした。その途端、私は胸が苦しくなった。夫はちゃんと約束を守るだろうか。悠人を傷つけるようなことを言わないだろうか。私は涙が溢れそうになるのを必死にこらえた。どうか何事も起きずに受験を済ませ、無事笑顔で帰って来ますように。私は心からそう祈るしかなかった。

しかし、夫が一緒なので、物事がうまくいくはずがないのだ。

長男悠人の大学受験とアパートの契約

夫は悠人と2人で東京へ出発した。悠人の大学受験とアパートの契約のためだ。夫は面倒なことは絶対にしないのに、なぜわざわざ東京まで行ったのか。実は不倫相手沙織の差し金だった。沙織は私に任せっきりにしておいては、夫のお金を使うだろうと思ったのだ。

私はそんなことはしない。高額なアパートは悠人自身のためにならないからだ。夫は私の性格を知っているだろうに、沙織に言われば面倒で仕方ない東京にでも付いて行く夫。
夫はもう、私の知る夫でない。

悠人が家を出てから、夫が何かしでかして電話が来るかと心配したが、結局その日の夜まで連絡はなかった。午後8時過ぎ、私の携帯が鳴った。悠人からだった。「今日はアパート内見してきたよ」と悠人は言った。夫は私が言った通り、物件が高額なアパートなんかじゃなく、分相応の安い物件であることがわかったのだろう。

悠人は夫と大学の近くまで行ってみたが、途中までしか行かなかった。夫は「ここまで来れれば大丈夫」と言ったらしい。悠人は夫に遠慮したのだ。夫が裏でやっていることを知ったら、遠慮しなくてはならないのは、謝らなくてはならないのはどっちなのかが悠人にもわかる。

私は悠人に「大学の場所や乗る電車確認してないで明日ちゃんと行けるの?大事な受験なんだよ?」と聞いた。悠人は「大学の建物が見えるところまでは行ったから大丈夫だと思うけど、電車がよくわからなかった」と言った。夫は設計事務所の所長になってから、
たまに東京に出張するようになり、東京の電車には慣れている。夫が付いているなら大丈夫か。

私は悠人に「夕飯ちゃんと食べた?」と聞いた。悠人は「吉野屋で食べた」と言った。
1年半ぶりの親子の食事で、しかも明日は大事な受験で吉野屋か。せめてなにかちょっと、美味しいものを悠人にとは思わないんだな。

悠人は「俺に払えって、お父さんが」と言った。夫は悠人に牛丼の代金を払わせたのだ。夫の心には子供たちにもう、愛はないんだな。

私は悠人に「お父さんは…今いないの?」と聞いた。悠人は「さっき、ホテルにチェックインしたんだけど今お風呂に入ってる」と言った。悠人の声の感じから、私が心配していたような、離婚や不倫話は聞かされていないようだ。

最悪の事態が起きなかったことに、私は胸を撫で下ろす。だがまだ終わりではない。むしろ明日が本番だ。残りは明日一日。でもさすがに、受験当日にはあの夫だって、悠人の心を乱すような話はしないだろう。父親なのだから。

問題は帰りの飛行機の中かな。受験も無事終わったんだからなんて、夫は悠人に不倫のことを話すんじゃないだろうか。夫は早く不倫のことを子供に話して楽に生きたいと言うのだ。問題は無事受験が終わった明日の帰り道だ。なんとかそこさえ乗り越えれば。

夫と悠人の東京への旅は、悠人の大学受験とアパートの契約のために行われた。
しかし、夫の行動は悠人を置き去りにするなど、父親としての責任を放棄したものだった。

悠人は受験当日の朝、夫に突然一人で大学まで行くよう言われ、焦って大変な目にあった。悠人は何とか受験会場に間に合ったが、父親の行動に深く傷ついた。

私は夫の行動に激怒し、夫が父親としての心を捨ててしまったことを痛感した。夫は悠人を置き去りにした後、沙織と待ち合わせをし、楽しい休日を過ごしたことが後に発覚した。

私は夫の行動を許すことができず、夫が私と子供たちに対して行った行為を深く後悔した。夫は父親としての責任を放棄し、家族を傷つけた。私は夫が父親としての心を取り戻すことができるかどうかを疑問に思った。

長男悠人の高校卒業式

悠人は高校2年生の初冬に夫が家を出て行って以来、必死な怒涛の1年半を過ごした。
卒業式の朝、悠人はいつも通りに明るい顔で登校した。私は夫の行動に怒りを感じながらも、悠人の卒業式を迎えた。

悠人は夫と2人で東京への一泊の旅をした後、無事一人で北海道の我が家に帰った。
しかし、悠人はその後、東京への道中で夫とどんな会話をしたのか、その内容について
何一つ話さなかった。私は夫が悠人に私の悪口や耳障りの悪いことを一方的に聞かせてきたのだろうと想像した。

悠人は私たちの初めての子で、初めてのお産、初めての授乳、初めての夜泣きなど、
初めてづくしの経験をさせた。私は至らないところも多々あったことだろうと率直に思う。悠人にとって、この北海道のこの街での最後の出来事が、夫が家に帰って来ないという
異常事態だった。

私は卒業式の保護者席に一人座りながら、悠人の過去を思い出していた。後ろから誰かが私の肩を叩く。小学校で、悠人に初めて出来たお友達のご両親だった。私は卒業生入場を見て、悠人が入って来た。悠人は中学まで背が小さくて、背の順だといつも前から数えたほうが断然早かったが、高校に入ると急に伸びた。

式が進められ卒業証書授与のとき、悠人の番になるとシャッターチャンスだったが、
私は涙がにじんで上手く撮れなかった。私は不出来な親なのに、行き届かない親なのに、グレもせずよくここまで育ってくれた悠人には感謝しかない。

式が終り、悠人は部活の仲間と帰ると言った。私は一人、人がまばらになった校門にいた。私はその校舎を写真に収め、頭を下げたのだった。悠人の新しい生活が始まる。私は心に誓った。

もう一つの願書も

長男の悠人が大学受験を終え、高校の卒業式も無事に終わった。私は安心したい気持ちもあるが、まだまだ油断できない。なぜなら、もう一人の受験生が待ち構えているからだ。次は長女の美穂が中学3年生で、市内の公立高校を受験する番だ。

美穂の目指す高校は自宅から通える距離にあるので、通学にかかる費用は変わらない。ただ、進学当初にかかる費用は夫が負担することになっている。夫と私は以前、調停でこの点について話し合い、合意していた。

美穂の願書提出の際、あることが私の頭に浮かんだ。悠人の大学受験の時、担任の先生が言った言葉だ。「大学受験に関しては、高校の方から問い合わせます。美穂さんの高校受験の時は、また改めて中学のほうにご相談ください」という言葉だった。

私は、夫の名前を保護者欄に書くべきかどうか迷った。知らないふりをして、夫の名前とこの住所を書いて出してしまってもよかったかもしれない。しかし、私は小心者なので、そこは避けた。

「中学に聞け」と言われた以上、聞かないで済ます勇気はない。ばれやしないかと気にしているよりは、潔く中学に相談したほうがいい。私は美穂の中学に電話し、明日来てほしいとのことだった。

私は美穂の中学を訪れ、担任の先生と進路相談室で面会した。私は美穂の願書提出に
ついて相談したいと伝え、先生は親切に耳を傾けてくれた。

「美穂さんの願書には保護者欄がありますが、父親の名前と住所を書くのが普通だと思います。ただ、父親が現在家族と一緒に住んでいないため、住所をどう書いたらいいのかわかりません。」

先生は私の質問にしばらく考えた後、「お父さんが現在住んでいる所の住所を書いて頂ければ大丈夫ですよ」と答えた。しかし、私はそれが不可能だと伝えた。

「実は先生、夫は現在不倫相手の家に住んでいます。美穂にそのことを知られたくないので、住所を書くことができません。」

先生は私の言葉に驚き、しばらく沈黙した後、「それは大変なことですね。校長とも相談しまして、追って連絡させてもらいますんで」と答えた。

私は先生に感謝し、美穂に不倫のことを話していないので、この話を内密にしてほしいとお願いした。先生は了解し、校長と学年主任にしか話さないと約束した。

翌日、先生から電話で連絡があり、家族の住所を書けば大丈夫だと伝えられた私は安心し、美穂の願書提出を進めることができた。

美穂の高校受験が近づき、願書の保護者の氏名住所欄が気にかかった。私は美穂の中学に相談に行き、美穂の先生から願書には家族の家の住所を書けばいいと連絡をもらった。
私は安心したが、美穂は夫の不倫や離婚調停のことを知り、一人悩んでいた。

一年後、美穂は高校で新生活を始めていた。ある日、夕飯の準備の途中、美穂が中学の最後の担任の先生について話し出した。美穂はその先生が最悪だったと言っていた。私は驚き、美穂に何があったのか聞いた。

美穂は、授業中に友達と話をしていたことがあり、先生に怒られたと言った。先生は美穂がふざけて話していると思ったらしく、美穂の母親が先生に相談に来て号泣したと言った。美穂は傷付いたと言っていた。

私は先生の言動に驚き、美穂に謝った。私は人をすぐに信用してしまう馬鹿だと気づいた。美穂は私にこの話をする笑顔が痛くて苦しかった。私は美穂の笑顔を見て、自分の過ちを反省した。

誕生の思い出

私は妊娠中で、出産予定日が近づいていた。ある夜、腹痛が始まり、破水したような感覚があった。夫に連絡したが、夫は麻雀の約束があると言って病院に連れて行こうとしなかった。私は痛みが激しくなり、夫に怒ったが、夫は約束を破れないと言って家を出て行った。

しかし、30分もしいうちに夫は帰宅した。仲間に叱られ、しぶしぶ帰ってきたのだ。夫は私を車に乗せ、病院に向かった。明け方、私は悠人を自然分娩で出産した。

この出来事は、私が夫を選んだことの間違いを実感させた。夫の不倫やその他の問題は、すべて私が夫を選んだことの結果だった。私は自分の間違いを認め、反省した。

夫の「病院の前に転がっていれば…」という言葉は、私の心に深く刻まれた。私は夫の言葉を忘れず、自分の間違いを反省し続けた。

高校受験

美穂は高校受験の日を迎えていた。私は彼女の進学費用は夫が持っている家族の通帳から出させることを約束させていたので、問題はないと思っていた。しかし、美穂には誰に
も言えない大きな悩みがあった。彼女は私が夫の不倫の時系列の紙を書いたことを知ってしまい、父親の不倫を知ってしまった。美穂はそれを胸にしまって平気なふりをしていた。

美穂は受験の日も笑顔で臨んだが、実際には人知れず苦しい受験だった。私は1年後に
美穂の悩みを知り、胸が苦しくなった。私はあの紙を隠し忘れたばっかりに、中3という時期に暗い影を落としてしまった。私のせいだ。

携帯電話の思い出

悠人は高校に入ってすぐ、携帯電話を手に入れた。ある日、悠人は夜9時になっても帰宅しかった。私は心配になり、夫に相談した。夫は悠人の携帯に電話をかけたが、悠人は
出なかった。夫は悠人の帰宅が遅いことに腹を立て、悠人が帰宅したときに携帯を取り
上げて折り、土間に投げつけた。

悠人はショックを受け、外に飛び出していった。私は悠人を探し、外付けの大きな灯油
タンクの下の暗がりに悠人を見つけた。悠人は涙をぬぐいながら、父親の行為を非難した。私は悠人をなだめ、父親の心配を理解するよう諭した。

夫婦の寝室で、夫は悠人の帰宅が遅いことに腹を立てた理由を話した。夫は悠人の帰宅が遅いことで頭にきたと言ったが、私は夫の言葉を信じなかった。私は夫が悠人の心配を
理解していないことを知り、夫の父親としての気持ちはなかったことを実感した。

今になって思い返すと、私はどうしてこんな人間を生涯の伴侶に選んでしまったのかと
悔やむ。しかし、この人でなければ、悠人や美穂や健二には会えなかったわけで、運命とは残酷だ。

合格発表の日

悠人の大学受験の合格発表の日がやってきた。悠人はクラスの有志で学校に集まり、
みんなでホームページで合否を確認することになっていた。私は悠人に
「合否がわかったらすぐにお母さんにも教えてよ!」と頼んだ。

合格発表の時間が過ぎても連絡が来なかったので、私は心配し始めた。やっぱり無理だったのかと想像していたところ、悠人からラインが来た。
「わるい。おちた」というメッセージに私は肩の力が抜け落ちた。しかし、
すぐに悠人から「なーんてうそ、合格」というメッセージが来た。

私は瞬間状況が呑み込めず、しばらくして悠人の冗談だったと気付いた。悠人は「今いるメンバー全員合格!みんなでファミレスでまずはお昼食べて帰る」と報告した。

私は本当に良かったと感じた。長かった闘いが報われたのだ。悠人は一ヶ月もしないうちに東京の人となり、晴れて念願だった国立大の学生になるのだ。私の翼の下から旅立つのだ。この日の嬉しくて、満足で、でもちょっと寂しくて、晴れやかで誇らしい気持ちを
私は一生忘れられない。

幸せな夜

悠人が大学に合格したという嬉しい知らせが届いた。私は夫の不倫で家庭が崩壊した償いとして、悠人を第一志望の大学に通わせたいと願っていた。その希望が叶った私は、美穂と一緒に心づくしのお祝いの料理を作った。健二は近くの100円ショップでお祝いのたすきとクラッカーを買ってきた。

家族全員が集まって、唐揚げ、ちらし寿司、ポテトサラダなどをテーブルに並べた。悠人が帰ってきたとき、家族全員が笑顔で「おめでとう!」と祝った。健二はクラッカーを鳴らして乾杯した。

この夜は、夫の不倫や別居離婚調停などの辛い出来事を忘れることができた。子供たちも頑張って前に進んでおり、私も一緒に前に進もうと心から思えた。しかし、その時はまだ、さまざまな出来事が待ち受けていることを想像もしていなかった。

次 の 壁 

私は悠人の大学合格の夜、家族で喜びを分かち合う大事な夜だったのに、夫から婚姻費用減額請求調停の呼出状が届いた。私は数か月前、離婚調停の呼出状が届いたあの日と同じように、目の前が真っ暗になった。

私は夫から調停を起こされたのだ。今度は私たち親子の生活費をなんとか少しでも減らしてやろうという調停だった。私の気持ちとは関係なく、私に目掛け容赦なく、夫からの第2の刃が振られれたのだった。

私はこの夜、前向きに思えたのに、夫の行動にショックを受けた。私は子供たちがいるから大丈夫だと自分に言い聞かせたが、夫の行動に腹が立った。私はこの調停にどう対応するべきか、考え始めた。

私は悠人の大学合格の夜、夫から婚姻費用減額調停の期日の案内状を受け取った。私は
夫によって法の場へ引きずり出されることにショックを受けた。

翌日、私は佐藤愛子弁護士事務所に相談に行った。弁護士は「夫は悠人が大学に進学することで生活費を減らしたいと考えているようです」と説明した。

私は「生活ぎりぎりの金額で、預貯金があるならいいですが、それは全て夫が持って行っているのでなにかあったときのためのお金が必要で…減らされると困ります」と心配を表明した。

弁護士は「旦那さんとしては、ご長男に生活費を4月から送金していくわけで、その分を美咲さんに渡している分から引こうということでしょう」と説明した。

私は「話し合えばわかる部分もあると思うんです。実際、悠人に毎月生活費がかかるわけですから。私だってそう言われれば、ゆずる部分もありますし。努力もします。そんな打診や話合いもしないでこうやって突然調停起こすなんて、ちょっとひどいんじゃないんでしょうか」と不満を述べた。

弁護士は「おっしゃるとおり。調停なんかしないで、直接会うのがいやなら文書でも電話でも、弁護士を使ってでも話し合って、お互い協力できればそれが一番いいですよね」と同意した。

私は「いやがらせってことも、あるんでしょうか。私が心配性で恐がりだってこと、あの人が一番知っていますから。こう何回も裁判所に呼び出されたら、私の身がもたないってことわかってるから…」と心配を表明した。

弁護士は「それはあると思います。こんなことならもういっそ、条件なんてもうどうでもいいから離婚してしまった方がと、美咲さんが考えるように追い詰めるのも狙いかもしれません」と警告した。

私は夫の真意を確かめたわけではないが、私と弁護士の想像が本当だとしたら、夫の狙いが私を精神的にも金銭的にも追い詰めて離婚に持ち込む作戦だとしたら、そんな思惑の
通りになるわけにはいかないと決意した。

真っ赤な車

私は夫の不倫相手、沙織の言葉を思い出した。「大丈夫。美咲は精神的に追い詰めれば、勝手に逃げていなくなるから」という言葉だった。

私は沙織の狙い通りに精神的に追い詰められていた。夫が私にしたことを思い出すだけで、沙織の作戦ではないかと感じるのは私だけだろうか。

私は沙織の家に乗り込んだ時も、市議会議員事務所で義父と夫と沙織の親族で集まったときも、沙織は私の前には顔を出さなかった。義父や夫、そして自分の母を操り私を攻撃してくるその女。

その日、私は佐藤弁護士事務所に出向いた翌日だった。私は離婚調停をやったことは、
子供達には一切話していない。弁護士費用をどうしようと頭がいっぱいな私が、玄関先を掃除している時だった。

家の前の道路は歩道なしの2車線で、そこを真っ赤な車が猛スピードで走り抜けていった。私は嫌な予感がした。

「美咲さん!」と道を挟んでお迎えの奥さんが、私に駆け寄った。「おはようございます…今朝も寒いですね」と私が声をかけると、「ねえ、ねえ、今の車見た?」と奥さんが言った。

私はご近所付き合いができなくなっていた。夫の車が帰ってきていないことを、きっとご近所の人たちが気が付いているはずだから。

「今の車がどうかしましたか?」と私が聞くと、「あの車ね。最近よくこの道通るの美咲さんも気が付いてた?」と奥さんが言った。

私は「うちの前をですか?」と聞いた。うちの前の道路は、この住宅街に住んでいるか用事のある人以外は、めったに人が通らない道路なのだが。

「そうよ。なんか最近何回も見かけるのよね。なにせあの色でしょ?目立つから余計に目についちゃってね」と奥さんが言った。

私の嫌な予感は的中するのだ。

私は家の前を走った真っ赤なクラウンを気にしていた。家の前の道は、この住宅街の住人か、ここに用事がある人しか通らないような道だった。私はその車をよく見かけることに気づいた。

その夜、私は子供たちに嘘をつき家を出た。私は夫の不倫相手の沙織の家に向かった。
以前は夜になると夫の車があるのかどうか確認に通っていたあの家だった。

私は沙織の家の前に停まる夫の車を目撃し、何度絶望のどん底へ突き落とされたことだろう。でももう、その悲しい確認はずっとしていない。

私は沙織の家に着くと、茶の間の電気だけが煌々とついていた。相変わらずの、たばこのやにで茶色くなったカーテンがその窓を覆っていた。私の目は、そこではなくその前の駐車場に釘付けになった。

そこにあの真っ赤なクラウンがあった。月の光に照らされて、新車特有の輝きを放ちそれはそこにあった。私は傷ついた。

その横には、先日買った夫のベンツがあった。その横にある真っ赤な車なら、持ち主はきっと沙織だった。その新車はつい最近まで、車体が変色し、ナンバープレートが錆びついたメタリックオレンジの軽に乗っていた女が、手に入れた新しい車だった。

私は夫の言葉を思い出した。「女なら軽で十分だ」と言った夫の言葉だった。私は笑いました。「ふふふ、私あなたの旦那に愛されてるの」というように見えた。

私はやっぱりショックだった。自分に高級車を、買ってもらえなかったことがではない。自分が微塵ももう、愛されていないという現実がだ。

私は今までにも何度も、その現実は見てきてはいるのだが。慣れないのだ。慣れられないのだ。自分が微塵ももう、愛されていないという現実には。

私は打ちのめされ、心のどこかが死んでいった。

私はある日、お向かいの奥さんから不思議な言葉を聞いた。「あの車最近よく見かけるのよね」という言葉だったが、私はその言葉を妙に気にした。私は夫の不倫相手である沙織の家に向かった。私の勘が当たり、沙織の家の前に真っ赤なクラウンが停まっていた。
夫の新車のベンツと共に。

私は沙織がその車を買うお金を持っていないと想像した。すると、そのお金はどこから来たのか?夫が持ち去った我が家の預貯金からとしか思えない。私たち夫婦の老後と3人の子供たちの進学のための預貯金からとしか。

翌日の朝、私がリビングで片づけをしていると、道路に面した窓に真っ赤な車が映った。慌てて窓から顔を出すと、それはやはり沙織の家の前にあったあのクラウンだった。お向かいの奥さんの言っていたことは本当だった。昨日も通ったのにまた?運転者までは見えなかったが、沙織の家の前に停まる車がちょくちょく家の前を通っているこの事実だけは間違いがない。

私は夫と私の大学の先輩である佐伯に相談することにした。佐伯は私たちの結婚式の仲人でもあった。私は佐伯に電話をかけ、沙織の家の前に停まっている車のことを話した。佐伯は私の話を聞いて、沙織の車のことを調べてくれると約束した。

私は佐伯に感謝し、沙織の車のことを調べてもらうことにした。私は沙織の車のことを知りたい。沙織の車は何のためなのか?乗っているのは沙織なのか?私はそれが知りたくて仕方がない。

私は沙織の新車、真っ赤なクラウンがなぜ頻繁に家の前を通るのか、知りたくて大学の先輩の佐伯に再び電話した。

佐伯は私の電話に応じて、「美咲、久しぶりだな。忙しくてなかなか連絡できなくてごめんな」と言った。私は「先輩、とんでもない。私こそ全然連絡しないで…」と返した。

佐伯は「ところでなにかあったのか?俊太郎のことか?」と聞いた。私は「あのね…俊太郎、ベンツ買ったんだ…」と答えた。佐伯は「え?ベンツ?これから子供たちに金がかかるのに?浅見設計事務所ってそんなに儲かってるの?」と驚いた。

私は「儲かってなんていないよ。ベンツは私たちが20年かけて貯めた家族の貯金から出してるんだよ」と説明した。佐伯は「そんなんで大丈夫なのかよ」と心配した。

私は「それだけでも驚いたんだけど…」と続けた。佐伯は「なに?他にもなにかあるのか?」と聞いた。私は「うん。実はね、不倫相手の女に真っ赤なクラウンを買ったみたいなんだ」と答えた。

佐伯は「ベンツ買ったのに?女にクラウン?おいおいそんなんで大丈夫なのかよ」と驚いた。私は「大丈夫じゃない。それで私には婚姻費用減額調停を起こしてきたんだ」と説明した。

佐伯は「もう、無茶苦茶だな」と言った。そして「それって新車なの?中古だったら安いのもあるからね」と聞いた。私は「そこまではわからない。私、車に疎いしそんなにじっくり見たわけじゃないから」と答えた。

佐伯は「よし!それじゃ俺がちょっと調べてみるよ。案外家族の預金からじゃなくローンで支払ってるかもしれないしね」と言った。そして「なるほど。ローンってこともあるかな。それならいいんだけど。悠人の大学進学も決まったし美穂も健二もこれから学費がかかるのに」と続けた。

佐伯は「そりゃそうだ。とにかくちょっと待ってて!知り合いのディーラーいるから聞いてみるよ」と言って電話を切った。

私は佐伯先輩から電話を受けた。「美咲、おれ」という声に、私は「ああ、先輩」と応答した。佐伯先輩は「実は俊太郎にクラウン売ったディーラーが俺の知り合いでさ」と言ってきた。私は「それで?」と問い返した。

佐伯先輩は「それで俊太郎が沙織と店に来て、あのクラウンを買ったって言ってた。
ローンじゃなく現金で」と答えた。私は「やはりそうか…」と言うしかなかった。私と
子供の生活費は減らし、まだ妻でも何でもない不倫相手に高級車を買うなんて、信じられないことだった。

私は佐伯先輩に「先輩、なんで沙織はわざわざクラウンでうちの前を頻繁に通るんだろうか」と尋ねた。佐伯先輩は「クラウン買う前も家の前を通ることはあったの?」と聞き返した。私は「ない。私の知る限りないと思う」と答えた。

佐伯先輩は「美咲、だったらそれはお前に車を見せたくて、通っているんだと俺は思うよ。自慢したいんだと思う、美咲に」と言った。私は「自慢…?」と呆然とした。人の子供の進学費で買った車を自慢したいなんて、恥ずべきことだった。

私は次の言葉が出なかった。「…わかった。ありがとう…わかった」とだけ言った。
佐伯先輩は「美咲、大丈夫か?またなんでも電話して来いよ。俺、力になるから」
と言って電話を切った。

それから、その真っ赤なクラウンが何度も何度も我が家の前を通るのを私は見た。
私が家の前にいるときは猛スピードで、、私が家の中にいるときは、異常なほどに
スピードを落として。

私は人生で初めて、妻以外の人を好きになってしまったことの痛みを感じていた。
いくら不倫でも、無意識のうちに人を好きになる気持ちを、止めることはできないのかもしれない。周りも本人自身も。

沙織の母親は私に「俊太郎と沙織の間には、真実の愛があるんだから。2人は愛し合っているんだからしかたないじゃない」と言った。私はそれに反論できなかった。

しかし、私は「だからしかたない」という言葉に納得できなかった。夫が愛しているのは沙織であることは間違いない。相思相愛で、2人が愛し合っているのも間違いはないだろう。

でも、それは私の気持ちを無視することになる。私は「だからしかたない」という言葉で切り捨てられる、ついこの間まで家族として生きて来た人間の気持ち、立場、今後の人生を無視して新たな人生を勝手に始めてはいけないと感じていた。

私は夫に、不倫をした以上、元の家族に対してフォローが必要だと考えていた。私は夫に、めんどくさいのはわかっているが、誰かを傷つけて得た幸せの代償の重さを知ってほしかった。

悪 い 夢

私は長男悠人の大学合格を祝うために、家族で夕食を共にした。夫の不在で暗い雰囲気だった我が家に久しぶりの良い知らせだった。私たちは手作りの夕食を楽しみ、悠人の合格を喜んだ。

しかし、その夜、私は玄関の郵便受けに見覚えのある封筒を見つけた。裁判所からの呼び出し状だった。夫に起こされた離婚請求調停が不成立の終わったばかりなのに、間髪入れずの調停申し立てだった。今回はこちらの生活費を減らしてやろうという婚姻費用減額調停だった。

私は冷水を頭から浴びせられたようで、また奈落の底に突き落とされたのだった。
私は明日佐藤弁護士に電話しなくてはならない。期日は一か月後、悠人が東京へと旅立つ2日前だった。

私は調停など起こさなくても、弁護士を介して話し合いもできるのに、なぜ夫はまた調停を起こしたのかと疑問に思った。私はまたあのありもしない悪口を、知りもしない裁判所の人たちの前で、平然と言われ人権を傷つけられる調停に出ていかなければならないと思うと絶望しかない。

私はまだ、美穂の受験と合格発表と、悠人を東京へ送り出す準備と手続きと、まだまだやらなくてはならないことがたくさんあるのに、夫はこちらを思いやる気持ちなど微塵もない。こちらが困ろうがなんであろうが、知ったことではないという悪意のみ。自分たちさえよければそれでいい。血のつながった我が子が苦しんでも、自分がよければそれでいい。

私は夫の無情さに呆然とした。悠人が美穂が子供たちが不憫でしょうがない。私は明日、弁護士に電話しなくてはならない。

その夜、私は夢を見た。場所は夫の設計事務所の前だった。私は夫が事務所から出てくるのを待ち構えているらしい。高いブロック塀の陰に隠れて。長い間待ったところで、
ようやく夫が事務所から出て来た。ちょっと離れたところにある、自動販売機で煙草を買うつもりらしい。自動販売機に向かう夫の背後から、私は夫に襲い掛かる。

私は昨夜の夢にショックを受けた。私があんな夢を見るなんて、怖がりでビビりで、暴力とは無縁の人生を送ってきた私には考えられないことだった。私の顔や体から、あの時飛び散った血の匂いがまだするような錯覚に襲われるほどに、リアルな夢だった。

私は安定剤を倍飲んだ。

美穂の受験

私は美穂に「大丈夫だよ。きっと、大丈夫。試験はまあまあできたって言ってたじゃない」と言った。美穂は「うん。それはそうなんだけど」と答えた。私は「結果わかったら、すぐにお母さんに教えてよ」と言った。美穂は「うん、わかった。もちろん」と答えた。

健二は「お姉ちゃん、合格したらゲームで今夜久しぶりに僕と対決しようぜ!」と笑った。悠人は「それいいね。ダブル受験でしばらくやってないもんな。よし、今夜は美穂の合格祝いも兼ねてゲーム祭りといこう」と言った。美穂は「やだ。お兄ちゃんも健二も万が一落ちてたらどうすんだよ」と答えた。

私は「美穂の好物のエビグラタン作って待ってるからね」と言った。美穂は「エビグラタンテンション上がる!よし、行ってくるか」と答えた。皆に見送られ、美穂は玄関を出た。

この時の美穂の笑顔を、私は微塵も疑うことはなかったが、実は彼女はこの時すでに、心に誰にも言えない苦しみを一人抱えていたことは私はこの時点では知らない。

ほどなくして、美穂から「無事サクラが咲きました~?」というラインが届いたのだった。

最優先事項

私は夫の不倫がばれてから一年半、怒涛の一年半を過ごした。たくさん傷つき、たくさん泣いて、迷って落ち込んでそんな一年半だった。そんな中でも、どうしても諦められなかった私の願いは、悠人と美穂を希望通りの学校へ進学させてやりたいということだった。

特に、建築家を目指し東京の大学への進学を希望していた悠人の進学は、後に続く美穂や健二も大学へ進学しやすいはずだった。夫が不倫などしていなければ、昔通りのどこにでもある家庭のままであれば、なんの問題もなくできたであろう進学を、私はどうしても悠人にさせてやりたかった。

ありがたいことに、悠人も美穂も無事合格した。子供たちが頑張ったのに、私が頑張らないでどうするのか。そう、私はまた夫に調停を起こされたのだ。一回目に起こされた離婚調停が不成立となって、一か月も経たないうちの婚姻費用減額調停の呼び出し状だった。

私は佐藤愛子弁護士の事務所にいた。弁護士は「美咲さん、お二人の合格おめでとうございます」と言った。私は「ありがとうございます。これも先生にいろいろと助けて頂いたおかげです」と答えた。弁護士は「今回の調停は、こちらに支払っている生活費つまり婚姻費用を減額したいということなんですが」と説明した。

私は「悠人の分はどうなるんですか?」と聞いた。弁護士は「たぶん、別途悠人さんの口座に俊太郎さんの方から振り込むことになると思います」と答えた。私は「なるほどそういうことですか。もちろん、悠人に直接支払ってくれるなら、こちらの分から悠人の分を減らすのはいたしかたないことですよね」と言った。

弁護士は「美咲さん、それより、悠人さんが東京に行かれるまでもう一か月もないでしょう?」と聞いた。私は「はい。そうなんです」と答えた。弁護士は「ご準備は進んでいるんですか?」と聞いた。私は「アパートは夫が受験の際に、内見して契約の書類も言われるまま書いてきたようです。あとはお金を振り込めば契約完了です。持っていく荷物は本人が今頑張っています」と説明した。

弁護士は「美穂さんの高校進学の準備もありますものね。美咲さん、お忙しいとは思いますが、今はそちらを優先して調停のことはあまり心配しないでご準備頑張ってくださいね」と言った。私は「ありがとうございます」と答えた。

私はこの1年半で夫が関わるのだからそういうわけにはいかないことを学んだ。やっぱり調停のことが心配。又こちらが想像もできないようなとんでもないことを言って来やしいか、そう思うと胸が苦しい。でも今は、悠人の東京行きが最優先。無事東京へと飛び立てるよう、私にできる精一杯を今はしよう。

そして悠人を、愛する私の長男を、笑顔で我が家から送り出そう。美穂と健二と一緒に。それが私の悠人へのせめてもの償い。次の日からその準備が始まった。楽しいようで、
嬉しいようで、どこか寂しくもあり、悲しくもあるそんな悠人の旅立ちの準備だった。
悠人の巣立ちの時がすぐ目の前に近づいている。

不 貞 脳

私は調停のことを心配している。夫が関わっていて、なんの問題もなく済むはずがないと考えているからだ。正直心配でしょうがない。しかし、現実にはやらなくてはならない
ことがたくさんある。2人の進学の準備だ。

今日は美穂の高校の説明会だった。そして制服の採寸。同時にカバンやコートや靴、体操着や教科書の申し込み。辞書と電子辞書、両方購入しなくてはならないのはなんでだろう。そんなことを考えている隣で、美穂は始終上機嫌だった。

美穂は「ねえ、お母さん、私何部に入ろうかな。どうせなら友達と同じ部がいいかな」と私に声をかけた。美穂の目が、キラキラと輝く。「うん。やりたいことをやったらいいよ。高校生活なんて一生に一度なんだから」と私は答えた。

人生はどの瞬間も一生に一度。まだ成人していない子供なら、その環境のほとんどは親が提供することになる。その環境がいくらいやでも、子供に拒否権はない。夫が出て行って一年半の間、悠人には悠人の高校生活、美穂と健二にもそれぞれの学生生活があった。

どれも一生に一度で、どれもキラキラと輝く大事な一瞬で。それは、大人になってからの一年半とはまるで別物。そんなかけがえのない時間に、あんな問題を起こしてしまった
両親。償いたくても、償うすべがない。もう取り返しがつかない。どうしようもない。

自分の中学高校時代を思い出せば、友達と部活と、推しのアイドルのことや好きな異性のことしか、考えていない平和な時間だった。もちろんそれなりに、悩みもあったんだろうけど。平均的で平凡な中学生、高校生だった。なのに我が子には……そう思うと実際今も苦しい。

私たち両親の罪は思った以上に大きい、ということを実感せざる負えない。もっとも夫は、そんなことは微塵も考えていないだろうが。なぜに考えないでいられるかが不思議だ。「自分さえしあわせなら、他の人のことはどうでもいい」そんな考えの典型的な人。
相手が我が子であっても。

それが所謂「不貞脳」。恐るべし「不貞脳」。不貞脳は確かにある。最初はそんな言葉……と半ばばかにしていたのだが。不貞脳は確かに存在する。間違いはない。

進学の準備

私は美穂の高校進学の準備はだいたいのところは心得ている。しかし、大学進学の準備に関してはほとんどのことがわかっていない。普通なら、合格が決まるまでの間に、先輩
ママから情報を仕入れるとか、同級生のママ友と話すとか、そんなことでこの日までだいたいのところを把握しておくのだろう。しかし私はそんなことをできる状況でなかった。

私は一生に一度の大学進学の準備の大事な時期に、父親がその進学費用を出すとか出さないとか、親としての責任を全うすることを渋り、自分と不倫相手には高級車。最悪の両親。こんなダメ親に育てられる、子供たちに本当に申し訳がない。

私は今の私にできる精一杯をしよう。死ぬ気でやってもそんなのでは、全然全然足りないのだろうけど。今の私にできる精一杯を、我が家から巣立つ長男悠人のために。

私は20年以上前、東京の大学に通っていた。この20年、一回しか東京に行っていない。
さぞかしなにもかもが、様変わりしていることだろう。引越し当日、私と悠人と2人で
東京に行くとして。なにもわからない東京で店を探し、家財道具を一から揃えるには大分時間がかかるだろう。私の体調もある。ではどうする。生活に必要なすべてを、私はここ地元北海道で揃えてから東京に向かうことに決めた。

私はニトリなら東京にも店舗があるので、早速悠人とニトリに向かった。「例えばですね。ここのお店で買い物したものを、東京のニトリさんから東京のアパートまで届けて頂くことって可能ですかね……」と私は店員に聞いた。店員は「ちょっと確認しますので少々お待ちください」と答えた。

その後、店員は「大変お待たせしました。可能だということでしたので」と戻ってきた。私は「では、いろいろ買いますんでよろしくお願いします」と店員に頭を下げると、店内で必要なものを悠人と吟味し、次々とカートに入れていった。布団、毛布、シーツ、枕、電気毛布、カバー類、テーブル、ハンガー、カラーボックス4個、衣装ケース4個、ミニ冷蔵庫、電子ケトル、アイロン、アイロン台、フライパン、鍋2つ、おたま、フライ返し、菜箸、お皿各種、お椀、お茶碗、箸立て、スプーンにホーク、ふきんに包丁、洗い物スポンジ、オーブントースター、バスタオル2枚、フェイスタオル5枚、お風呂の椅子、洗面器、掃除ブラシ、そしてカーテンなど、相当な量になった。

私は「これで全部です。お手数ですがどうぞよろしくお願いします」と店員に言った。店員は「はい、大丈夫です。ところでお支払は?」と聞いた私は「2,3日中に……父親が支払いに伺いますんで、それでよろしくお願いします」と答えた。店員は「そうですか。わかりました。ではこちらで計算して金額がわかりましたらお母さまの方にお電話でお知らせしますね」と言った。

私は悠人と店を後にした。悠人は「お母さん……いろいろ買ってもらってありがたいんだけど、あんなに買っちゃって、あの……お父さん?大丈夫かな」と心配している。私は「大丈夫だよ。あんなにって言ったって、生活に必要な最小限度のものしか買ってないよ。それに赤札のばっかり選んだし。お父さんダメなんて言わないから」と答えた。私は離婚調停3回目の私からの攻撃で、夫に進学費用を出すと言わせた。そして、追い打ちをかけるように、進学費用とは何を指すのかという確認を明確に行っていた。裁判官、弁護士、調停委員の前で。リストも渡してある。今日購入したものは、全てそのリストに書いてあるものだけ。だから大丈夫。

私は悠人に「心配ないってば!」と言って笑った。

請 求 書 

私は夫に連絡を取り、この度のニトリでの買い物の代金の支払いに行かせることをしければならない。進学にかかる費用は出すと、調停の場で約束した夫。夫側に渡したリストに載っているものしか買っていないのだから、夫には拒否する権利がない。

私は未だに夫が怖かった。顔を見るのも怖いが、声を聞くのさえ私は怖くて仕方がなかった。どうしよう……迷った挙句、私は敢えて夫の設計事務所に電話をした。夫の携帯ではなく。

電話に出たのは鈴木さんだった。聞き覚えのある懐かしい声だった。「鈴木さん?」と私は聞いた。「あ、奥さんですか?奥さんですよね」と鈴木さんは答えた。みんなで働いた日々が思い出される。

私は「鈴木さん、所長いますか?」と聞いた。胸がきゅっと苦しくなる。「奥さん、所長今外出してるんです。なにか急用でしたか?」と鈴木さんは答えた。いないのか……いや待て、いない方が好都合かも。

私は「鈴木さん、悠人が大学合格したので東京に出ていくんです。それで布団なんか必要なもの、ニトリで買って来たんです」と説明した。「そうでしたか。あの小さかった悠人くんが東京の大学に行くんですね」と鈴木さんは驚いた。

私は「はい。それで所長に2,3日中に、ニトリに支払いに行ってほしいんです。所長が支払うってことは、所長も了承済みなんで」と伝えた。「そうなんですね」と鈴木さんは了解した。

私は「鈴木さん、今からファックスで買ったもののリストと金額を書いた明細書送るんで、所長にニトリに支払いに行くように伝えてもらいたいんですけど」と依頼した。「わかりました!しかりと伝えますから。奥さん、なにも心配しいで」と鈴木さんは安心させてくれた。

私は「ありがとう……」と感謝した。設計事務所内で、私に八つ当たりや嫌がらせを夫がするところを見ていた鈴木さん。私が夫を怖がっていることもわかっている。

私は電話を切り、夫がすんなりと支払いを済ませてくれることを願うばかりだった。やはり携帯ではなく、事務所に電話したことは正解だった。私の想像通りに、社員が味方についてくれるのだから。

私は社員を利用したのではない。社員に私からの伝言を告げられ、それを無視できない夫の「所長としてのメンツ」を利用しようと思ったのだ。

携帯電話

私は夫に支払いを頼んでから3日が過ぎた昼に、携帯が鳴りいやな予感がした。「こちらニトリの〇〇店ですが」と電話の相手は言った。嫌な予感はさらに強くなる。

私は「…はい。お世話になってます」と答えた。「先日はご来店、大変ありがとうございました。あの、その際にお買い上げいただいたお支払の件なんですが…」と相手は続けた。私は「…まさか、支払いに行っていないとか…?」と聞いた。

相手は「はい。実はそうなんです。ずっとお待ちしているんですがまだ…」と答えた。
私は恥ずかしくて、顔から火を噴きそうになる。「すみません、すみません。本人忘れているのかもしれないんで今すぐに連絡して行かせますので…」と私は謝罪した。

相手は「はい。お待ちしていますのでよろしくお願いいたします」と答えた。私はやっぱり夫が支払いに行っていないのかと腹が立った。私はすぐに夫の設計事務所に電話をした。出たのは3日前と同じ鈴木だった。

私は「…所長まだ支払いに行ってないんですか?」と聞いた。鈴木は「え?所長まだ支払いに行ってないんですか?」と驚いた。私は「うん。今店から電話来たから。間違いなくファックス渡してくれたよね」と確認した。

鈴木は「もちろんです。悠人くんの大事な進学準備だもの。ちゃんと渡したし、必ず支払いに行ってくれるようにって私からも付け加えて言いましたから」と答えた。私は「ありがとう……そうだよね。鈴木さんが忘れたりするわけないよね」と感謝した。

鈴木は「なにやってんだ、所長」と呆れた。私はファックスには、買ったもののリストと金額の他に私からの言葉も書き込んでいた。「なるべく出費を抑えるために、いろいろ工夫して安価なものを買いました。どれもリストに書いたもので、それ以外のものは一つも買っていません。悠人の晴れの門出です。出発の日も近づいています。どうか支払いは三日以内にお願いします」と書いていた。

私は礼は尽くしたつもりだった。それでもだめなの?私ははらわたが煮えくり返った。「ちょっと…所長に代わってくれる?」と私は鈴木に頼んだ。鈴木は「奥さん、大丈夫ですか?俺からもう一度所長に言いますか?」と心配した。

私は「大丈夫。代わってください…」と答えた。電話の向こうでしのごのと、夫がなにか言っているのが聞こえる。ようやく夫が電話口に出た。

脅 迫

私は夫に電話をかけた。ようやく夫が電話口に出た。「美咲です……」と私は言った。「なんだよ」と夫は返事した。その一言を聞いただけで、私は息が苦しくなった。

私は「ファックス見てくれましたよね」と聞いた。「だから、なんだよ」と夫は答えた。「支払いに行ってくれないと、悠人、東京で暮らせないんですけど」と私は説明した。「知らねえよ」と夫は言った。

私はどの口が言うのかと思った。夫は悠人の父親なのに、そんなことを言うのか。私は「調停で進学にかかる費用は、あなたが払うって約束しましたよね?」と聞いた。「そうだったかな」と夫は答えた。

私は「調停の記録にも残ってますよ。その約束を破るんですか?」と聞いた。夫は返事をしなかった。私は「あなたね、私が知らないと思ってるかもしれないけどベンツ買いましたよね?女に赤いクラウン買ったよね」と言った。

夫は「えっ?……」と驚いた。「えじゃないよ。そのお金はどこから出たんですか?あの赤いクラウンなんて現金で買ってるじゃない。どこで買ったかも、買った値段も知ってますよ」と私は続けた。

夫は「……なんでそんなことお前が」と聞いた。「あなたがね。やってることは全部私の耳に入ってくるのよ。いちいち言わないけどね。私がなんにも知らないと思ったら大間違いだからね!」と私は答えた。

私は必死だった。なんとしても、悠人の出発に間に合わせないといけない。せっかくの門出に、ケチをつけさせることはできないから。出発はもう目の前なのだ。

夫は「だれから聞いた?」と聞いた。「そんなことはあなたには関係ない。いいからさっさと支払いに行きなさい。行かないならこっちにも考えがあるから」と私は答えた。

夫は「考えってなんだよ。どうせお前にはもう弁護士雇う金ないだろ」(笑)と言った。「そうだね。でもね、あなたの社長会の人たちに相談に行くことはできるよ」と私は答えた。

夫は「なんだって?」と驚いた。「だから、あなたが尊敬してて頭が上がらない社長会のメンバーに一人一人に、相談に行きますって言っています。どうにかしてくださいってお願いしてくる」と私は説明した。

夫は「ふざけんなよ、お前」と怒った。「私だってそんなことしたくない。だけどあなたが約束守らないなら私は社長会の人たちに会いに行く。あなたが私たちにやっていること全部相談してくるから」と私は答えた。

夫は「そんなことしたらただじゃおかない」と脅した。「そんなこと言ったって、私は引かないよ。本当に行くからね。だってもうそれしか私には方法がないもの。行くから。いやなら今すぐ支払いに行きなさいよ。あれぐらいの金額支払えないわけないでしょう」と私は答えた。

夫は返事をくれずに携帯は切れた。体がブルブルと震えた。行ってくれるのか、どこまでも行かないつもりなのかもう私にはわからない。疲れた……もう無理だ……私はそのままソファに倒れこんだ。

社長会の事

夫が義父から浅見設計事務所を受け継いで2か月が過ぎたころ、夫にはどうしても入りたい会があった。それは市内の優良企業の社長が集まる社長会「〇〇市道光会」だった。この田舎街で商売をしていれば、道光会を知らない人はまずいない。

義父が若かりし頃、義父が浅見設計事務所を大きくしようと努力していたころ、設計事務所には義父と義母と2人きりで、誰も知らないような小さな設計事務所だったから、道光会には入れなかった。しかし年を重ね、設計事務所に社員も増え、ある程度知名度も上がったころ、実は道光会から一度義父に入会の打診があったらしい。

しかし、あの義父だから、今さらなんだと昔のことを根に持って、けんもほろろに断ったということだった。以来30年、事務所にお誘いは一度もない。

夫が所長になり、いろんな会合に顔を出さざる負えなくなった。はじめはいやいや行っていたものの、やがて新人と知り目をかけてくれる人が現れた。それが、私に夫の不倫を電話で告げた安藤プランニングサービス社長の安藤と、村尾建設会社社長の村尾だった。

安藤と村尾は、ある懇親会で右も左もわからないといった風の夫を見かねて声をかけた。その後、その二人を介して紹介された優良企業の社長たちが、こぞって所属しているのが道光会であることがわかると、夫はその会にどうしても入りたいと私に言った。

それには論文を提出し、認められないと入れないということも。道光会の会長は、社員1000人の大会社の社長。その他にも、そうそうたるメンバーが名を連ねるその会に、うちの事務所ではちょっと場違いなのではと私は言った。

しかし、村尾と安藤が口をきいてくれると言っているから、どうしても入りたいと夫は言った。「でも、論文を書いて、それが認められないとダメなんでしょ?」と私は聞いた。「そう……」と夫は答えた。

「お題はなんだっけ?未来の社会貢献と当社の発展の展望だっけ?」と私は聞いた。「そう……」と夫は答えた。「そんなの書ける?そもそも、なんでそんなにその会に入りたいの?30年も誘ってもらえなかったってことは、うちが入会の基準を満たしていないからってことなんじゃないかと私は思うんだけど」と私は聞いた。

夫は「俺もそう思う……」と答えた。「それでも入りたいの?」と私は聞いた。「入りたい……」と夫は答えた。「どうして?」と私は聞いた。「だって、村尾社長や安藤社長とせっかく仲良くなれたから」と夫は答えた。

なるほどそこか。社員とも仲良くできず、休日に飲みに行く友達もなく、ラインは私以外から来たことがない。夫は孤独だった。そんな夫が所長になって、やっと見つけたお仲間。その人たちと、もっと仲良くもっと仲間になりたい。会に入りたい動機はそこだったか。

夫に仲間ができて、夫が楽しい思いをするのなら私も嬉しい、そう思った。「そうなんだ。わかった。そんなに会に入りたいのなら論文書いて出してみたらいいんじゃない。うまく書けば入れるかもよ」と私は言った。

「うん……」と夫は答えた。そこから一時間、パソコンに向かう夫の顔は真剣だ。「ねえ、どこまで書けた?」と私は聞いた。席を立ち私は夫のパソコンを覗いた。そこに書かれていたものは「未来 貢献 社会 展望 発展させる 若い力 短納期対応……」そんな単語の羅列だった。

「え?これだけ?文章は?」と私は聞いた。「ダメだ。書けない。思いつかない」と夫は答えた。「うそでしょ。一時間もかけて、これだけってことはないでしょ」と私は聞いた。「俺には書けない」と夫は答えた。ほんとうだ。一時間もかけてこんなんじゃ、何時間頑張ってもこの人には書けないだろう。

「書けないんじゃ、入会は諦めるしかないでしょ。残念だけど」と私は言った。「それはいやだ」と夫は答えた。「でも書けないんだから仕方ないでしょ」と私は言った。「お前が書いてくれ」と夫は言った。「は?」と私は聞いた。「お前が俺の代わりに書いてくれ」と夫は答えた。

「いやだよそんなの」と私は言った。「お前なら書けるだろ。頼む!頼む!」と夫は言った。しつこく粘られて、私は仕方なくその論文というものを書くことにした。甘い妻と思われるだろうが、当時の私は夫を愛していたのだから、夫の役に立ちたいと思ってもしかたがない。

いや、この論文を書いてやったことが、後の惨事を招いたのだから、これは私の大きな大きな失敗だった。それから2週間、必死に書いた私の論文が認められ、夫は道光会に無事入会することができた。

「美咲、ありがとう。感謝!感謝!」と夫は言った。「口じゃなくて、なにか美味しいものでお礼してもらわないとね」と私は言った。「なんなりと!」と夫は答えた。その日、設計事務所の事務室には夫と私の笑い声があった。

その2年後に、2人は法の場で争うことになるとは、その時は夫すら想像していなかったと思う。その道光会のメンバーがよく行く店が、あの沙織がいた高級クラブドルチェ。
その店内で、夫と沙織の不倫を知り、おもしろおかしく茶化しながらも、もっとやれとさんざん煽った人物が村尾や安藤なのだ。

あのとき、あの論文を私が書いてやらなければ。夫をあの会に、入れさえしなければ、私の家族はこんな目にあうことはなかったのか。しかし、私よ。何度も言う。人生に「たら、れば」はないのだ。ないのだ。

情愛(回想)

私は15年前、長女美穂が生まれたときのことを思い出している。私は予定日より2週間早い出産となった。お産自体は、安産でもなく難産でもなく、まずは無事に生まれてくれた。

一週間の入院予定だったが、産後2日目になって医者から美穂が、新生児高ピルビリン血症であると告げられた。高ビリルビン血症とは、血液中のビリルビンという黄色い色素が分解されず、血液中での値が高くなった状態を指す。ビリルビンは、赤血球に含まれるヘモグロビンが分解されたときにできる。

美穂は、健康な赤ちゃんのいる一般授乳室ではなく、その隣の不調のある子用の授乳室にある保育器の中に入れられた。光線から目を守るための、目隠しをされ裸におむつ姿で。光線治療の間は、母乳をあげることも抱くこともできないと言われた。

その日の夕方、私は一般授乳室で授乳をする母子を横目で見ながら、その隣の部屋で一人保育器に入れられた美穂をガラス越しに見ていた。その時、ダンダンダンと大きな足音が廊下に響き、そちらを向くと夫がこちらに走ってくるのが見えた。

やっと来てくれた……会いたかった。そんな甘えた気持ちで、私の心はいっぱいになった。「すまん。これでも急いで来たんだ」と夫は言った。真冬の吹雪の日のことだった。

「どこにいるんだ?俺たちの赤ちゃんはどこに?」と夫は聞いた。「あそこ。あそこだよ」と私は答えた。私が指さした先に夫が見たのは、健康な赤ちゃんたちとは違う部屋の保育器の中に裸で入れられ、目に黒い目隠しをされた生後2日目の我が子の姿だった。

「電話でも話したけど。新生児高ピルビリン血症って言ってね、黄疸がね……」と私は説明した。そこまで説明して私がふと、隣の夫に目をやると泣いていた……夫は人目もはばからず泣いていた……

「なんでうちの子が……」と夫は言って泣いた。「俊太郎さん、だけどね、先生は光線治療で良くなるって言ってるから大丈夫なんだよ」と私はなだめた。いくら私が夫をなだめても、その涙はしばらく止まらなかった。

ガラス越し、我が子を見ながら泣く夫の背中を私は撫で「大丈夫だから……絶対に大丈夫なんだから……」と何度も繰り返した。私が夫が泣いたのを見たのは、後にも先にもこの時だけ。

結局美穂の光線治療は二日で終わり、その後はなんの異常も見つからず、一才児検診ではもうそんな治療をしたことすら忘れてもらって大丈夫と言われた。

ふと思い出す、あの時の泣く夫のあの姿。確かにあの時は、夫は我が子を愛していた。それは間違いない。だから夫は。けして初めから我が子を愛せないそんな欠陥人間ではなかったんだと私は思う。

ではいったいいつから、夫は我が子に愛情を持てなくなったのか。幼稚園?小学校?
中学生になってから?どれも違う気がする。他の人とは違っても、夫なりにその時その時、
愛していたという小さな記憶が私の中にある。

やっぱり、不倫相手沙織が夫の前に現れてからとしか思えない。それを境に夫は激変した。そうあの女が、妻の私を愛する気持ちだけならいざ知らず、子供達への父親の愛までもきれいさっぱり消し去ってしまった。

私を愛せなくなったことはしかたがない。何らかの非が、私にもあったのだろう。しかし、子供たちへの愛までも奪った女を私は許せない。それだけは許せないのだ。

不貞女の思考回路

夫はニトリから支払いの催促がないところをみると、支払いに行ったのだろう。どうせ行かなくてはならないのだから、初めからすんなり行けばいいものを。その時の私はそう思うと腹が立った。

しかし、これは後日談なのだが。夫には、初めから支払いに行く意思があったらしい。ではなぜになかなか行かなかったのか。夫には自由にできるお金が無かったのだ。

設計事務所の所長なのに?家族の預貯金をすべて持って行ったのに?だから当時は、夫が嫌がらせで支払いに行かないものと、私は思っていたのだが。

実はこの時点ですでに、夫は沙織にお金を管理されていた。家族の通帳を、沙織に渡すところまではしないのではないかと思うが、沙織も自由に家族の通帳を見れるようになっていたらしい。

だから、ちょっとした額の引き落としがあれば「なんに使ったの?」と沙織に責められることになるため、払いたくても払えない状態にあったのだそうだ。

なぜ私にそんなことがわかったのか。それは後の法の場で、夫の口から明かされたから。

それにしても……どういう頭の構造をしていれば、よそ様の家のよそ様の貯金をどうこう言えるのだろう。やれ子供にお金を使っちゃダメだの、妻子に渡す生活費を削れだのと。

何度も言うが、その通帳には私の給料やボーナスもそっくりそのまま入っているのだ。
万が一だが私がどこかの既婚者と不倫関係に陥ったとして。好きで好きで、その男と離れられなくなったとして。

やっぱり奥さんには別れてほしいと私も思うのだろう。だけど、なんの関係もない男の
子供達には、申し訳なく思うのではないだろうか。父親を奪ってしまった上にその子供の進学をも阻もうなんて思うかな。

いや絶対に思わない。思えない。人としてない。

そしてその子供たちの進学費用で、女自分自身の車を買う?しかも高級車?

離婚をし、年老いた母親と無職の息子と暮らしていた沙織。自分はなかなか職が定まらず、保険会社の駆け出しの外交員。その生活はきっとカツカツで、そこに飛び込んできたのが設計事務所の所長の男で。しかもその男は、年下の世間知らずのボンボンで。

彼女が、この男を手放してなるものかと思ったことは容易に想像できる。でも……

だからといって……だ。ただ今思うのは、私がこの女でなくて良かったということ。こんな風に、自分の欲のために他人を傷つけて生きている女に、どんなしあわせが待っているのだろう。

私がこの女でなくて良かった。誰が知らなくても神様は見ている。私はそう思う。

いよいよ明日は一回目の婚姻費用減額調停だ。

第一回婚姻費用減額調停

私は冷たい朝の空気の中、厚手のカーディガンを羽織って家を出た。4月の初めだが、北海道はまだ寒さが残っていた。2日後には悠人が東京へ旅立つことになっていた。私は彼のためにできることをすべてしたつもりだったが、心の中ではまだ子離れができずにいた。

私は夫が家を出てから、悠人に頼りすぎていたことに気づいた。彼は半分大人で半分子供だったが、私の心の負担を知らず知らずに受け止めてくれていた。私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

朝食を終え、子供たちがテレビゲームに興じている間に、私は紙袋とカバンを持ってリビングを出た。「ちょっと出かけて来るから」と伝えると、健二は「わかりましたよ~」と返事をした。私は「鍋のカレーを温めるだけになってるからね」と言い残して家を出た。

私は家庭裁判所に向かっていた。今日は第一回目の婚姻費用減額調停の日だった。途中の総合公園の駐車場で車を停め、助手席に置いた紙袋を手に公衆トイレへ向かった。紙袋の中身はスーツと黒靴だった。私はセーターとデニムを脱ぎ、スーツに着替えた。子供たちには友達の家に行くと言ってあった。

着替えを終え、車に乗り込むと私は裁判所を目指した。遠目から、裁判所の駐車場には夫の車がないことを確認しほっとした。未だ夫が怖い。裁判所の緊張感は慣れるものではなかったが、私は立ち向かうしかなかった。深呼吸をし、私は家庭裁判所の門をくぐった。

私は裁判所に入り、書記官室のドアをノックした。ドアを開けると、十数人の職員が仕事をしており、ドアから一番近い若い女性が立ち上がった。「浅見さんですね。待合室にご案内しますね」と言った。

私は相手方待合室に入り、佐藤愛子弁護士に会った。「先生、今回もよろしくお願いします」と言った。佐藤弁護士は「今回の調停は美咲さん側に払う婚姻費用について話し合う調停です。離婚するしないで揉めることはないのであまり緊張しないでくださいね」と言った。

私は「生活費のこと婚姻費用って言うんですね」と聞いた。佐藤弁護士は「はい。婚姻費用とは生活にかかる費用全般のことを言います。食費や光熱費、医療費や学費、子供を育てるにかかる費用全てなんかです。要するに生活費ですね」と説明した。

調停開始時刻になったので、私たちは調停室に入った。調停委員は「美咲さん、俊太郎さんの言い分は今振り込んでいる婚姻費用を減らしたいというものでした」と言った。佐藤弁護士は「俊太郎さん側はどれくらい減らしたいと主張しているのですか?」と聞いた。調停委員は「12万円に減らしたいということなんですが」と答えた。

私は驚いた。佐藤弁護士は「ちょっと待ってください。12万円はないでしょう。確かに長男さんの分はなくなりますが、美咲さんの元にはまだ長女さんと次男さんがいらっしゃるんですから」と反論した。調停委員は「俊太郎さん側は婚姻費用算定表に基づいた金額まで減らしたいとおっしゃっているんです」と言った。

私は「とにかくそれはこちら側としては承知できませんとお伝えください」と言った。
佐藤弁護士は「残念ながら美咲さんが頑張って収入を得れば得るほど、俊太郎さんから振り込まれる金額は減っていくんです」と説明した。私は「そんな馬鹿な話があるのか」と思った。

夫はベンツの新車を買い、不倫女はクラウンの新車を買った。そんな余裕のある生活をしているのに、なぜ私たち親子3人は12万円で生活するより道はないと言うのか。私は目の前が真っ暗になった。

 

 

タイトルとURLをコピーしました